教育福島0034号(1978年(S53)09月)-029page

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ずいそう

心のふれ合い

門馬治

 

月日のたつのは早いもので、赴任以来四か月が過ぎ、夏休みを迎えた。

 

月日のたつのは早いもので、赴任以来四か月が過ぎ、夏休みを迎えた。

今から二十四年前、新任教師として不安と期待で胸をはずませながら着任した学校に、再び勤めることになり、その当時の出来事、よもやまの話が次々と思い浮んでくる。先輩の先生がたの温かい指導助言、地域のかたがたの協力など新米の私にとっては、一つ一つが新鮮で、かつ心の支えとなったのである。

「先生」と初めて呼ばれた時の感激も忘れられない。実際、子供たちを前にして、なにをどう教えてよいのやらわからず、悩みながらもがむしゃらにがんばったように思う。放課後には、校庭や裏山で汗まみれになって走ったり、ドッチボールをしたことなど、疲れると木陰で休んで一日のできごとを話し合ったことが印象強く残っている。

今、考えてみると、これらのことが「心のふれ合い」でなかったかと思われる。

当時の教え子は、すでに良き父、母となり、地域社会の中心的な役割りを担っている。彼らの子供たちを担任することは、親子二代にわたってのつながりであり、この人間関係は、教師みょう利に尽きるものである。

二十数年前と変わらない校庭の桜、校舎、そこで学ぶ子供たちは、現代っ子らしさを発揮しているように思う。

四月四日の始業式後の教室での緊張しきった顔、初対面の不安がありありとうかがわれた。そこで、名薄で知ったY男に、「お父さん、元気か」と話しかけると、きょとんとして「なんで知っているんだろう」というような顔をしている。事情を説明すると、みな一様に安心したような笑顔を見せてきた。休み時間には、教卓の周りに集まってきた。「H君、お母さんどこへ勤めている」とかS男のお父さんの子供のころのことを話すと、次から次へと話が続き、チャイムが鳴っても席につこうとしない。実にすばらしいふれ合いのひと時であったと思う。

次の日、S男、H男は階段の所で待っていて、昨日の家での様子を、歩きながら誇らしげに話しかけてきた。すると、みんなすぐに集まってきて、我れ先にとしゃべりまくるのである。

こんな会話の中に親しみがわくのではなかろうか。子供たちの顔は、昨日とは別人のように思えてきた。

本校では、クロッキーと体力づくりを一丸となって実施し、自主性を養うとともに、子供とのふれ合いの場を持つ努力をしている。一例をあげると、裏山の絶壁を利用しての岩山登り。ある時、二人の肥満傾向のS男とH男は、見上げただけで「だめだ」といって登ろうとしない。「よし、先生も登るから、ついてこい」と言葉を残して登っていった。ふと下を見ると一歩、一歩登ってくるではないか。途中で「だいじょうぶか」と声をかけるとにっこりしてハァハァ大きな息をつきながら登り、ついに登りきったのである。この時の「できた」と言った汗だらけの笑顔はなんとも言えないものであった。しかも、何回もくり返し登ったのである。その熱意に友達も賞賛の拍手を送った。それからというもの、彼らは、とび箱、鉄棒などにも挑戦し、ぐんぐん体力が向上してきたのである。

これらのことを通して感じるのは、なによりも、子供が教師への信頼感をもち、その上に立っての心のふれ合いがあるものと思う。これからも常に新鮮さを失わず、人間関係をいっそうたいせつにしていきたいと思う。

(小高町立福浦小学校教諭)

 

山登りで体力づくり

山登りで体力づくり

 

 

 


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