教育福島0035号(1978年(S53)10月)-016page
A.Y(小5)脳性まひ 全盲
自閉傾向あり、言語によるコミュニケーション不可能、座位保持可能、移動不可能、日常生活全介助、養護・訓練の指導として自閉的で反応の少ないA.Y児に外界への広がりをめざして言葉をかけながら手足を伸ばす訓練をしている。(少しづつ外からの刺激に反応するようになってきている)
K.K(中3) 脳性まひ
表出言語なし、座位保持可能、寝返り移動可能、四肢に強い緊張がある。どうにかペンを握れるが動作が不自由なため思うように書けないので、字枠を使って名前をなぞり書きする学習をしている。口や左手に強い緊張があらわれるが、どうにかなぞられるようになった。
O.O(小6) 脳性まひ
表出言語なし、座位保持可能、日常生活全介助、四肢に強い緊張があるが、腹ばいになり、手足をばたばた動かしながら、独力で移動の練習をしている。時間はかかるが病棟からプレールームまで移動できる。
○ 病弱児教育
県立須賀川養護学校
ここに紹介する事例は、国立療養所福島病院内の重心施設「わかくさ病棟」に入所している重心児(重症心身障害児の略)の指導事例である。
ア) 対象児
○ 本児 K・I 男 昭和三十九年十二月十三日生 十三歳(小学部四年在学)兄弟は兄と妹で、その間に出産、兄妹には異常はない。
○ 病名及び障害状況
両眼球形成不全、高度難聴、脳性マヒ、言語なし、歩行不能、運動の自発なし、知的障害、日常生活は全面介助。
○ 施設入所歴
昭和四十三年十二月一日わかくさ病棟入所、当時四歳
○ 出産前後の状態
父三○歳、母二五歳(いとこ同士の結婚)の二男として出産、妊娠中及び出産は正常であるが、左まぶたが膨脹し、その後もまばたきは全然見られなかった。(現在は左にかすかに運動がみられ、右は全然運動しない)
体重三千五百グラム。生後の諸感覚の発育が全く悪く、首のすわり十二か月、お座り五歳、歯の生えはじめ七歳とのことである。
○ 医療歴
生後二十四日めに医大附属病院など三か所で受診、特別な指示がなく「あきらめざるを得ないこと」として受けとめたようである。
○ 教育歴
施設に入所して三年めに学齢に達したが、就学猶予すること四年、十歳から学校教育の対象として指導を行った。
施設側では、一般重心児と同様の生活管理で、特別な機能訓練等を行った様子はなかった。
イ) 教育開始当時の状態
みずから動くことは全くなく、寝かされたままの姿勢でいる。顔の表情は全然なく、泣くとき以外は声を出さない。全面介助による流動食とおしめによる世話で生きているだけの状態であった。
ウ) 指導のねらい
第一次段階 教師からの働きかけに対してなんらかの反応を促進させる。
第二次段階 周囲の状況の変化に応じて、指向し探索的に手を動かさせる。
第二次段階 できるだけ多様な全身運動の自発を促進させる。等々。
エ) 取り上げた内容や方法
○ お互いに手を握り、ほほに当てたり耳もとで名まえを呼んだりして声をかける。
○ 上半身を起こして、本児の両手を持って、手ばたきをする動作をさせながら名まえを呼んだりして、この動作を続ける。
○ 両手に鈴を持たせて介助しながらたたかせる。
○ 寝がえり、トランポリン運動、起立訓練等々、介助により行う。
オ) 指導経過
○ 指導後約一か月で、声は出さないが、笑顔を見せてくれた。これが指導をはじめて最初の反応である。
○ 指導後約六か月で、声のする方にわずかながら顔を向けるのが見られた。左まぶたを動かす。口びるを動かす。口からあわを出すなど。
○ みずから手を動かすことはほとんどないが、鈴のような物なら持っているようになったし、力がはいっているように感じられる。
○ 肩に手をかけ名まえを呼ぶと、鈴をたたき反応を示すようになった。手を離しても時には継続的に鈴を鳴らし続けることがある。