教育福島0035号(1978年(S53)10月)-025page

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ずいそう

幼児と二十年

 

佐藤千恵

 

佐藤千恵

 

「おはようございます。」の元気のいい朝のあいさつが園いっぱいに広がる。そこには、園児同志、また園児と教師の心と心のふれあいがあり結びつきが生まれる。実にさわやかな一日の始りである。

この春、日和田幼稚園に転任してきた。見知らぬ地への不安を抱きながら着任したのだが、一年五歳児四学級の本園は、園児の発育状況もよく、今まで四歳児から扱っていただけに、なんとなく大きく感じられた。立ち止まることを知らない元気で明るい子供たちとの出会いに、不安も解消し、リズムある生活の中から、園児一人一人の可能性を引き出し後続世代の自覚を養うという意味からも、がんばらなければと自己をむちうっている。

元気いっぱいの日和田の子供たち、その中で一人、いつも仲間に入ろうとしないでいるS子の姿が気になる。S子は、社会的経験も乏しく、病弱の母の手で過保護に育ってきた自信のない一人っ子。友達に誘われても、いっしょに遊ぼうとしない。まず、原因を追求し実態をは握する。手だてとして学級全体の活動から、子供たち同志のかかわり合いを求めた。紅白に分かれた簡単なルールのボール遊びの中でS子は、白組に所属した。「ああ、ぼくら負けるにきまっている、S子ちゃんがいるもんな。」と男の子。「S子ちゃんだってがんばれば勝つよ。」と女の子。「うんそうだな、がんばれよな。」と肩をたたいてはげましている。いよいよアンカーのS子の番。グループ全体のわれんばかりの声援のもとに、ようやく役割を果たすことができた。こうして、園児と教師のふれ合い、仲間からのはげましの中から、いろいろな活動への意欲が生まれてきた。夏休みに、「せんせいげんきでいます」と、たどたどしい文字でハガキが届いたときは、うれしかった。

S子の隣のグループにT男がいる。彼は、集団生活を経験して入園してきた。活動的で自己主張が強く、友達への乱暴が目立つ。「だって友達に負けて泣いて帰ってはだめだっていつもいわれてるんだ。」という。現代社会情勢の中で、強く、たくましく、と願う親の気持ちも理解できないではないが、「思いやりのある子に育てたい」との教師の意図を、子供を指導するだけでなく親へも共通理解を求めながら、複雑性、困難性はあるが、正しい仲間意識を育てたいと苦慮している。

 

楽しいボール遊び

 

楽しいボール遊び

 

今年も全国高校野球大会が甲子園で行われ、郡山から初出場ということで市をあげての応援であったが、野球には縁遠い私も、この試合にはテレビに吸いつけられた。汗と泥にまみれてベースにすべりこむ姿を見るとジーンとくる。甲子園で、活躍しているA男の姿が幼稚園生活を送っていたあのころの姿と交錯してならなかった。がんばれ、がんばれとテレビに向って夢中で応援した。数日後思いがけなく、「先生どうも」といって、サインボールをお土産に、元気な姿を見せてくれたときは、突然のこととて感無量であった。

教員生活二十余年、幼児教育の結果はすぐにわかるものではない。その子が成長したときにこそ幼児教育の真価は問われるものである。卒業生の一人一人も今や青年婦人に成長し、現代社会の中でりっぱに生き抜いている。いったいこの子らに何をしてやれたのかと思うとき、胸がいたむ。今後とも幼児の可能性を信じ、子供の心の中に生きる教師として、一日一日の積み重ねをたいせつにし、幼な子とともに歩み続けたい。幼稚園の先生になってほんとうによかったと、幼稚園教師としてのよろこびをしみじみと味わうこのごろである。

(郡山市立日和田幼稚園教諭)

 

 

 


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