教育福島0035号(1978年(S53)10月)-029page

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ずいそう

つれづれなるままに

 

芳賀サト

 

芳賀サト

 

少年易老学難成 一寸光陰不可軽

未醒池塘春草夢 階前梧葉既秋聾

 

この詞との出合いは女学校一年の習字の時間で、すばらしさに感動しながら筆を走らせたことを思い出す。そして常に口ずさんでは自分をはげまし、また後輩の指導にあたってきた。しばらくしてこれは朱熹の作であること、朱熹は中国南宋の哲学者で新儒学「宋学」を大成した学者、人類の教師としての尊称は朱子とよばれたかたであることを知った。

人となること、人をつくることは容易でない。教師として数学をおしえながら生徒らを創造性豊かな人間に育てていくむつかしさはよくわかる。

中学校や高校程度の数学まではほとんどの生徒が理解できるであろう。ただ人によって理解するまでに多少時間に差はあってもそこまではのびると思うし、またそう信じて毎日はりきって教壇に立っている。今年も三十三回目の終戦記念日をむかえたが、私はこの日の来るたびに、はじめて教師になったころを思い出す。

昭和二十年九月女高師を卒業して、同九月三十日付の辞令で勤めたからである。敗戦のむなしさをかみしめ、古い価値体系がくずれて心のよりどころに迷い、また食糧にも困った時代であった。

幸い数学科の教師なので、授業内容に大きな変化はなかった。ザラ半紙に印刷したおそまつな教科書を手に、空腹をこらえながら教師も生徒も真剣に授業に取り組んだことが、昨日のように思われる。

三年間教えた生徒が卒業していくのをよろこび、また新入生をむかえてはがんばっているうちに三十三年はすぎ、世の中ははげしく移りかわった。

各家庭に電話、テレビが普及して、,情報伝達手段の多様化と情報量の増大で居ながらに情報が入ってくる。生産力の発展による大量生産、大量消費でだれも同じ商品を買えるような画一化が進み、デパートやスーパーへ行けばどんなものでもお好み次第に手に入る物質の豊かなゆとりのある時代になった。親たちは子供が少ないので至れりつくせりで育てて、親子の心理的距離が近く、特に母親と子供の密着度はいっそう強められている。「うちの○○ちゃんに○○してあげようと思うのですが」と相談されて、聞いている方がはずかしくなるような言葉を平気で使う親にしばしば出会う。戦中戦後を体験したものには、今は夢の国にいてみんなが雲にのってふわふわと浮かんでいるようである。

子供の気質もずいぶん変わった。一見物知りで「かん」はよいのだが、ねばりがなく、一つの問題にとり組んで考えぬく気迫や根気がない。

なんでも早く与えられたり、求めることができるので、学習意欲に欠け、計算力に至っては乏しくなるばかりで、自然に受動性が強く、無力化が進んでいることに気づく。さてこれからはどんな教育が必要であろうか。

特に重要なのは幼児期の家庭教育である。

要点を子供の発達に従ってまとめてみると、(1)だだを言えば通る式ではなくしかるところはしかってがまんを教える。(2)よいわるいをはっきりさせる。(3)知りたい欲が出てきたら芽をつみとらずにのばしてやる。(4)まわりの人や動物に対する思いやりや親切心を育てる。(5)自分のことは自分でさせる。小学校へ通いだせばここからは学校教育と一体となって。(6)「よく学びよく遊べ」の習慣をしっかり身につけさせる。更に中学校、高校で (7)根気づよく、注意力もあり、学習意欲にもえた生徒を育てる。そして中学校の基礎の上に高等普通教育をしっかり身につけさせ、能力をのばしたいものである。

(福島県立福島北高等学校教諭)

 

運動会風景

 

運動会風景

 

 

 


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