教育福島0036号(1978年(S53)11月)-024page

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ずいそう

ふれあい

福地敬子

 

香りがして、だんだん少なくなっていくのがとてもおしい気のする香水である。

 

私は最近、朝家を出かけるまぎわにシューと一ふり香水をふりかけて、家を出るのが習慣になってしまった。別に舶来ものでも、高価なものでもないのだけれど、なにかとても温かい香りがして、だんだん少なくなっていくのがとてもおしい気のする香水である。

私は、一学期を半ばにして、入院・手術・自宅療養と学校を休まなければならなくなった。二学年担任となり、クラス編成替えによる新しい生徒たちと、一学年担任当時のふんい気とはまるで違う、勇ましいメンバーに囲まれ、とまどいながらも、一日も早く彼らとの心の交流をはかるべく、スタートをきったのもつかのま、ようやく心がほぐれかかったやさきの入院で、自分でもたいへんなショックであった。生徒に対してもとてもすまない気持ちでいっぱいであった。

しかし、幸いにも病休の期間、学級は若い、はつらつとした新任のM先生が心よく担当してくださることになり、また教科の方は偶然主人の中学校での教え子である聖母卒のかたに補充教員として来ていただくことができて、とても安心して休むことができた。

入院中のある日、M先生がひょっこり見舞いに来られた。私は学級の一人Kのことがいつも脳りからはなれずとても気になっていた。時と場を考えず、突然奇声を発したり、高笑いをしたり、時には相手を無遠慮にやじる、そんな彼がとても気に,なっていたのだが、M先生の「皆元気にやっています。心配いりませんよ。月例テストの結果がちょっとふるわなかった程度で、あとは問題ありません。」という言葉にどんなに安心したことか。ふだん勤めているときは忙しさのあまり気にかからなかった一人一人の行動などが、離れて病床にあるとよりいっそう思い出されて心配でならなかったのだが……。

退院して間もなくM先生から「生徒たちが見舞いに行きたいといっているのですが。」という電話にもちろんOK。二、三日して間もなくあの酷暑の中を皆自転車で汗びっしょりになって訪ねてきてくれた。彼らは学級や学校のできごと、中体連での活躍などおもしろおかしく話してくれて時間のたつのを忘れるほどだった。また彼らは班ごとに趣向をこらして選んだ見舞品を持ちよってくれたが、その中に六十分のカセットテープがあった。A面「おれらの授業なんだけど皆の声を聞いてくなんしょ。」から始まった国語の授業風景。学校にいてはついぞ聞かれない授業中の生の声。ふだん静かなSの堂々とした発表。すばらしいプレゼントに思わず感激。B面「これからの三十分はおれたちの話です。早くよくなって出てこらんしょない」から始まって二人のいろいろな対話が吹き込まれていた。「夕方から始めてもう八時を過ぎました。三十分のテープをうめるのはたいへんであります。」と話す彼らのいっしょうけんめいな様子が目に浮かんだ。「最後にお見舞いだけど香水、安いんだけどおれら選んで買ったんだ。つかってくなんしょ。」の言葉。三十分テープが終ったとき、私は胸にジーンとくるものを感じながら香水の甘いかおりにひたっていた。

ふれあい-私は病に伏して彼らの温かい心にふれることができたことをたいへんうれしく思っている。人間的なふれあいは、教える人と教えられる人といった縦の人間関係では普通あまり得られない。人と人との関係となって互に人間的な真の心のふれあいを感ずることができるのだと思う。私はこのたびあらためて教師としての喜びをしみじみと感じると同時に、過ごしてきた日日をふり返ったとき、果たして彼らの心にどれだけ燈をともすことができたであろうかと反省している。

(霊山町立霊山中学校教諭)

 

心のふれあうクラブ活動

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