教育福島0036号(1978年(S53)11月)-025page

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ずいそう

地域に生きて

飛田浩

 

十五年ほど前、辺り一面の畑と森に囲まれた場所に家を建てて移り住んだ。

 

十五年ほど前、辺り一面の畑と森に囲まれた場所に家を建てて移り住んだ。

当時、遠く数軒の家が見えただけのこの地域も、いつの間にか市街化の波が押し寄せ、道路は舗装され、マンションも立ち並び、百三十余戸の多きを数えるまでの発展を遂げるようになった。各種の職業人、各様の年齢層が混じり合い、当然ながら子供たちもふえ、生活や教育上の問題が、しだいにふくれあがってきた。それとともに、新興地に起こりがちな、互いに隣を知らず、あいさつもかわさず、子供たちの行動にも冷たく無関心な地域としての様相も呈し始めていた。

そんな地域に、いつとはなしに反省の声があがった。「これではいけない。みんなで力を合わせて、よい地域にしよう。」「集まり、考え、学び、問題を解決する場をもとう。」と。その声はしだいに広がり大きくなっていった。

かくて、地域集会所建設の組織と構想はねりあげられた。土地は、費用は、建物は……と、次々に難問が待ち受けた。基本財産のなにものもない、この地域で「意義を見いださない。必要ない。容易でない。時機しょう早。」ひぼう、中傷が、せきを切ったように流れ出す。その声をまとめるべく役員会並びに組集会が招集され、約一年の準備期間中、数十回の会議が、夜間、延々深夜にまで及んだ。人間の生き方、価値観がぶつかり合い、幾度もざ折しそうになる。しかし、その度に、何が人間として生きることなのか、何が是で何が非なのか、みんなのため、地域のため、とは何なのか、など、生きざまを通し、真理を探り合い、心のつながりを深めた。

やがて、その輪の広まりとともに、有形、無形の代償を求めないすばらしい協力、援助活動が次々と続けられ、涙が出るほどの感激も味わった。

ついに完成した集会所の中で、落成祝賀の集いがもたれ、ふっと辺りを見回したとき、ここしばらくの間に、なんと知己のふえたことか。にこやかにあいさつをかわすその姿に、集い合うその場所に、群がる人々の共通理解の結晶を見、改めて感動を覚えた。

現代社会のあり方が問われ、学校教育ばかりでない生がい教育の叫ばれる今日、地域のコミュニティセンターとしての集会所を自分たちの手で築きあげようと努力した真剣な生き方や、よい地域づくりに意欲を燃やす人々の群れは、地域に「生きることの何か」を教えてくれたような気がする。自分としてもさまざまな価値のかっとうの中でどう対処すべきか、突きつめられることも多かったし、知と情の混迷の中での判断や決断のむずかしさにも苦しんだ。場合によっては、投げ出したくなることもあった。しかし、人間として生きている以上、その問題は、いつでも、どこでも起こりうることを思うとき貴重な体験をさせてくれた地域に感謝こそすれ、恨みがましい気持ちは起こらなかった。

その後、集会所は、ささやかながらも地域のコミュニティセンターとして教育・学習・研修・問題解決・レクリエーション・遊園・憩いの場となり躍動し始めた。組ごとの集会はもちろんのこと、グループによる研修やレクリエーション、子供たちの学習会や映画会、講演会等、しだいにその動きも活発になってきた。集まる場を持つことによるその活動の広がりの中で、自分も地域住民の一人として参加できることに心の満足と誇りを感じながら、大人も子供も、ともに、いつまでもむつみ合い学び続ける地域であってほしいものだと願っている。

(大越町立大越中学校教諭)

 

集会所での親子卓球大会

集会所での親子卓球大会

 

 

 


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