教育福島0036号(1978年(S53)11月)-027page

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ずいそう

四十三通り

小野裕子

 

子供の心の動きは四十三人いれば四十三通りのものがある。

 

子供の心の動きは四十三人いれば四十三通りのものがある。

今年の春早く、まだ会津の雪も深い二月の初め「大雪」(ゼリーナ・ヘンツ作)の読み聞かせのあと、お話の絵かきに取りかかった。会津の雪の経験に外国という要素を加えたのは、雪への一人一人のイメージを鮮明にしたかったからである。線かきのときは似た構図もみられたが、書き込みを続け、色をつけていくにつれてその子なりの持ち味がにじみでてきた。手元に集められた絵をちらっと見ただけで、A君のタッチ、Bさんのふんい気……と顔と絵がだぶって見られたのが楽しかった。

合唱においてもメンバーの一人一人が自分をおさえはするけれども、それでいて自分の持ち味を失うことなく全員のハーモニーの中に生かして、全体として一つの個性を作り出すことが指導として要求されている。

算数の、その中でも特に機械的に教えこむようにみえる計算指導の場合でも、子供の心的な構造がより体系化し、抽象化し、ち密化する過程は絵や合唱と全く同じように四十三通りあるに違いない。

ここ数年の間に何度か三年生を担任し、筆算のアルゴリズムにポイントをおいた除法指導を試みた。昨年うまくいった方法だからといって今年成功するという保証はない。その年の子供によってさまざまな受けとめ方の違いがあり、その違いに対処した指導がほしい。子供の頭の中をずっと見わたせるレントゲンのような力がほしいと思うのは子供からピンピンはねかえるものが感じられる授業をしたいからである。

計算の体系をがっちり作りあげることは教材研究の基本である。その提示する問題は少しずつ、ほんの少しずつむずかしくして計算を続けさせるうちに知らず知らずのうちに解いていけるのでは、できてはいくけれどわかる喜びがもう一つ伝わってこない。アルゴリズムの徹底のためにということでのくり返しの単調さをどう破ってやるのか、子供の思考の飛躍・ひらめきをどう生み出していくのかを考えたい。

わかる授業が成立するのは子供の発見や考え方・思考過程を探り、子供自身が探究価値を見いだすものは何かをまず明らかにして、それをどう組織化するかが授業作りのポイントになろう。

子供たちがこれは問題だ、解決しなければならないととらえた問題は、きわめて具体的で小さなものではあるが除法概念の底流にふれ、除法指導全体にゆさぶりをかけるような問題をみつけだすのである。問題を明らかにして自分の考えの根拠を求めながら同じような考えの子供を型分けし、グループでさあ討論に入るというときの、百メートルのスタートにも似た、あのぞくぞくする感じは一度味わったら子供にも教師にも忘られない思いとなり、今日の授業はおもしろかったね、と上気した顔を互いにほころばせる。

今日は学習したことを欠席した友達への手紙として書きだす子供自身の授業記録はイラスト入り、吹き出しつき数値の異なった例題でと多様な試みがこらされ、その子の今日の受けとめ方がにじみでてくる。

子供の新しいものへのきわめて強い好奇心と冒険心を組織することによって一人一人の個性の違いのにじみだしが教師に受けとめられ、それが授業の中で生かされる。教師がたえず子供の心のゆらめきを見つめる鋭さとその組織力が、書きこみを続ける絵にも似て、その教師ならではの授業を作りだしていきたいものだと思う。

(会津若松市立鶴城小学校教諭)

 

個性のにじみでた子供の絵

 

 

 

 


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