教育福島0036号(1978年(S53)11月)-029page

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ずいそう

可能性を求めて

作田晶

 

「先生、笛吹けるようになったよ。」

 

「先生、笛吹けるようになったよ。」

廊下を通りかかった私に、大きな目を光らせM子が教室からとびだしてきたのは一週間ほど前のことであった。

M子は特殊学級児。すなおで無口な子である。M子の学年の音楽を担当してから半年になるが、これまでM子みずから私に話しかけてくれたことは一度もなかった。

その彼女がとてもうれしそうに話してくれたのである。

「えっ、吹けるようになったの。よかったね。先生に聞かせてごらん。」

「うん。」M子は喜びを満面に浮かべて教室にもどり、笛を取り出して吹き始めた。音色は決して美しいものとは言えなかった。しかし、たどたどしい運指ではあっても、自分のできばえを聞いてもらおうと真剣に吹き続けるM子の姿に、私は深く心を打たれた。

二日前の授業時に、わずか三音からなる八小節の曲でも指の押さえが悪く正しい音程が出せないでいるのを見て、何度も手を取って指導したのであった。

時間内にはその曲を最後まで吹き終えることができなかった。しかし彼女は家で繰り返し練習し吹けるようになったのであろう。その喜びを次の時間まで待ちこたえることができなかったのに違いない。私の目には間違っては繰り返し練習し続けるM子の真剣な姿がありありと浮かんだ。曲が吹けたという初めての経験が、こんなにも明るく生き生きとした表情にさせたのである。

いつも静かで受動的に見えたM子の生活態度が、これを機に活発になってくれることを期待したい。

もう十五年ほど前のことだが、そのとき受け持ったK君についても忘れられない思い出がある。

当時六年担任の学級に、ずば抜けて大きな体で腕力も強く、級友に恐れられていたK君がいた。知能は良かったがまじめさに欠け、こと音楽にかけては全く意欲を示さず、楽器の演奏はもちろん、歌さえ満足に歌おうとしなかった。春の運動会のとき、鼓笛行進をするので私は思い切ってK君に大太鼓を担当させた。最初はてれくさそうになかなかばちを持とうとせずやる気を見せなかったが、しだいにばちに力をこめて正しいリズムで打つようになった。

二学期の方部連合音楽祭には器楽合奏を発表することになり、彼は大太鼓を希望した。以前の音楽の授業で示した彼の態度からは想像もできないほど熱心に私の指揮を見つめ、正確に打ってくれた。卒業時には生活態度もすっかり落ちつき級友からも慕われるようになった。

K君はその後、中学では吹奏楽部で活躍し、大学では合唱サークルの指揮者となり、就職した現在では仕事の合い間に音楽サークル活動を続けているという。

K君は音楽がきらいでもへたでもなかったのだ。いや、彼には優れた音楽的素質は秘められていたのだ。ただそれを彼自身知る機会がなかっただけのことである。彼の現在あるのは、その音楽の素質と努力にほかならないが、少しでも小学生当時に転機のきっかけを与えられたかなと、秘かな喜びを感じている。

内にねむる児童の素質を見いだし、機会を与え、能力を伸ばしてやることが我々教師に課せられた責務であろう。

子供一人一人の力を信頼し、すべての子供に喜びを与える----そんな子供たちとのふれ合いの日々を大事にしていきたいと思う。

(いわき市立小玉小学校教諭)

 

わたしだってできるようになったよ

 

 

 

 


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