教育福島0036号(1978年(S53)11月)-040page

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図書館コーナー

 

「読書」についての本(その二)

 

前号(十月号)ではすでにその評価が定まった、いわゆる読書論の古典とも称されるべきものを中心に、やや読書人向けの固い読書論をいくつか紹介した。

その特色は、ショーペンハウエルのものにしろ小泉信三の読書論にしろ、読書によって教養を高めえたある個人が、かれの読書遍歴を後進のために語るといった形のものか、やはり読書に広い経験を有する者が、後進のために読書の案内をし、読書の心得を説くといった形のものであった。

つまり前者は、筆者の人格に重きのある自叙伝的読書論であり、後者のそれは、直接筆者の人間形成を語るといった態度ではないが、一般の読者がもちそうな人生の目標、あるいは研修の領域などを掲げ、その目標や領域において読むに値する書物を選んで、それぞれの読み方を指導するといった形のものである。そして両者とも“古典”もしくは“原典”を読むことが非常に強調される。

むろん、それは現代の読書生活においても重要なことであり、強調されてよいのであるが、どうも“修養的”“高踏的”なイメージがつきまとい、かえって読書から遠ざけてしまう、といった批判がなくもなかった。

さて、それでは今日の読書論はどうかといえば、筆者の自伝的なものでもなく、また、ある領域の文献本位のものでもなくて、むしろ「読者の側に立って、読書の機能を理解し、それをめいめいの生活に効果的に活用させようとする立場、すなわち今日の大衆の生活の中に読書を定位させることの意義を考え、それを大衆の必要に応じて各自のものとさせる大衆読書論」(阪本一郎著『私の読書学遍歴』学芸図書・昭和五十二年)ということになるであろう。

その代表的にして先駆的なものは、やはり阪本一郎著『読書の秘訣』(学芸図書・昭和三十四年)と、同『新読書論』(講談社・昭和三十四年)であろう。

前号で紹介した通り、氏は日本読書学会の主宰者として十六年の間、わが国の「読書学」の体系化に努力されたかただけに、理論と実践に根ざしたその深い識見は傾聴に値するものである。

以下、この系譜に連なる現代読書論といわれるものをいくつか紹介しよう。

〇『本はどう読むか』清水幾大郎著(講談社)

豊富な読書経験に基づいて、本の選び方、メモのとり方、読書のし方などに至るまで懇切ていねいな解説がつく。やや学生向きのきらいがなくもないが、現代生活にマッチした読書論である。

〇『現代人の読書術』紀田順一郎著(毎日新聞社)

「教養としてでなく楽しみとして」の読書法や本の買い方を親切に説く、肩の凝らない、しかし卓見が随所にちりばめられた楽しい好著である。同じ著者による『知性派の読書学』(柏書房)『現代人の読書』(三一書房)、『読書の技術』(正・続二冊柏書房)等々も情報化時代の創造的読書法として、多忙な現代人のために一読をすすめたい。

〇『読書と人間形成--孤軍奮闘のたのしみの発見』佐藤忠男著(毎日新聞社)

サブタイトルで想像がつくかと思うが、独学によって人間形成をなしとげた著者による体当たり的読書論。ユニークななかにも、いたるところで共感を呼ぶ論が展開される。

〇『わが読書』ヘンリー・ミラー著(新潮社)

読書を人生の伴りょとしてとらえ、大胆に生命の哲学を説く、ヘンリー・ミラーの精神形成をうかがわせる型破りの読書論である。

子供の読書についてはだれしもが関心のあるところである。ポール・アザール著の『本・子ども・大人』(紀伊国屋書店)は、大人が、教訓ばかりで夢のない本を子供に与えてきたことを警告し、子供の想像力を豊かにするにはどんな本を与えたらいいかを具体的に説いた示唆に富む名著である。

その他、入手し易い読書論の好著としては、〇『読書の愉しみ』吉村公三郎著・玉川大出版)〇『本とつきあう法』(中野重治著・筑摩書房)〇『読書と或る人生』(福原麟太郎著・新潮社)等々があり、読書論の推せん図書である。

 

 

 


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