教育福島0037号(1978年(S53)12月)-030page
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各団体に流して研究し合い県教委でもそういう会合には、積極的に出席し、全小学校をまわるくらいの考えをもってできないものか。結局そういう問題があって実施するとなると、これは社会教育、家庭教育といっても、 一番中心になって動くのはPTAであり、公民館活動ではないかと思う。特にPTAの場合、集まる人数を比較すると他に比べものにならないほど大きいわけだが、PTAは自主的団体だからということで、自主性を尊重するあまり、直接入っていくことはしないが、やはり積極的に働きかけ、内容を示して啓蒙していくことも必要だろう。
鈴木
社会教育というと大きな問題であるが具体的な問題にしぼってみると老人や婦人学級など、いわゆる「学級もの」は非常に盛況である。反面、成人教育、特に父親教育になると集まりがわるい。ノンポリ親父が多すぎる。仕事で多忙な面もあるが、家庭での教育は女房まかせである、ここにメスを入れる必要がある。
例えば公民館のように地域単位で活動し、そこに出席する者はよいが、そこに出席しないノンポリ親父が問題となる。その対策として職場単位に親父学級をできないものだろうか。勤務が終ったあと一時間ぐらいするというように。
次に、徳育と同時に社会体育面に力が入っていないということであるが、私の市内にも、子供会のスポーツ活動等等熱心にされているスポーツ指導員のかたもおりますが、このような人たちに対する報酬をもっと引き上げる対策をお願いしたい。この人たちの奉仕だけにすがっていてはあいすまないのではないか。
今泉
日本の教育のひずみについては、心ある人ならその深刻さがわかることだと思うが、親が子供に出世させたい。金もうけをさせたいとか、収入のみちに早くつけたいとか期待をかける。中学校の先生は、テストでふりわけするがそれを解消するには、日本中の人が、いちにのさんで考え方をかえなければどうにも解決のできないことだ。日本中がいちにのさんでやることはものすごい国難でもない限り、これは困難なことで、できないかも知れないが、それだったらやれるものから手をつけていかなければならないと思う。学校教育はたいへん根深いものがあるから、まず社会教育の面から手をつけていくことがたいせつで、少しは効率がよいのではないかと思う。
先日、本屋にいき、ふだんは見ないコーナーを時間をかけてみて歩いたが、ここでびっくりしたことは、今もってHow to物が多いということです。これは日本の大人たちが、いかに判断力がないかということからだろうと思うとなさけない。福島県のこの刷りものをみると、こんなに多く社会教育をしていただいているのですが、今後社会教育をしていかれるなら価値観に影響を与えるものを多く取り入れていくことがたいせつである。
道学者的な説教を多く与えなさいということではない。また、指導者には確信に基づいてものを言える人材というか、純すいに、直観的にものを言える人を起用し、そういう人を選ぶべきである。一般的には社会教育についての理解はまだ弱いように思う。広報活動は、こんなにしているのにとお思いになるかもしれませんが、まだお役所的で宣伝がへただと思います。もっと強力に広報する必要がある。それから、社会教育には、もっと国際性を入れていくべきである。我々は近視眼的で、自分の利益のこときり見えないから発想の転換がむずかしいとは思うが、私の大学では、専任だけでも外人教師が八人いるが、教師自身の服装、発言がとてもとっぴであるが、よい考えを沢山言っている。とっぴな言い方のほうが良心的であり洞察力があることが多い。めずらしいものならよいというだけでなく国際感覚をもっと身につけたい。
田沢
私は社会教育とは何なのかと、そのことばからしてよくわからない。社会教育は生涯(がい)にわたるもので意味が大きいが、狭義にとられているのが現状のようである。公民館活動、PTA活動も本当の意味での社会教育であろうかと考えている。私は、いろいろな会の役員をしているが、その中でやっていることが、それはそれで私なりに社会教育かなと思ったりしている。その中で考えることは、一部のもののための社会教育になっているのではないかと思う。私は企業におりまして従業員がどういう生活をしているだろうかを考える。例えば余暇の過ごし方がわからない。それは企業が効率をあげるために、いかにしたら生産があがるかだけにつめこまれ、家に帰るとしゃべりたくないのが現状である。そうした中で広い教育をと言っても無理で、先ほど鈴木さんの方からよい意見が出ましたけれども、こんな例もある。福島のある工場で退勤まぎわに火災があり工場長が消火の協力を呼びかけたところ、残業手当をくれるなら消してやるということであったとか。こんなところにも戦後の教育の欠かんがでているのではないか。
昔の学生は頭のいいのは、医科、法科、経済経営、理学へと行った。最後が教育学部である。それで私が言いたいのは、まず教育学部を優先して、それで教師の資質を上げなければと考えている。また先生は社会教育の指導者にもっともっと進出してもらいたいということである。今の公民館活動は、人を投入する割に効果があがっていない。
本を読む者も少なくなった。読んでも、せまい範囲きり知らない。広い視
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