教育福島0040号(1979年(S54)04月)-026page

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英語教育の難しさ

長谷山麗子

 

うよりはむしろ、強烈な平手打ちをくわされたような気持ちになってしまった。

 

去年の暮れのことである。私はみかんを食べながらこたつに入り、かなりくつろいだ気分で、「文芸春秋」新年特別号--「日本人」・ライシャワー博士--を読んでいた。ところが、読み進むにつれて顔は青ざめ、くずしていた姿勢も無意識のうちに正し、次第次第に緊張するというよりはむしろ、強烈な平手打ちをくわされたような気持ちになってしまった。

それほどのショックを受けた内容の、英語教育に関係したごく一部を、いま思い出すままに紹介してみると、

● 日本の外国語教育は、貧寒である。

● 日本語への翻訳作業は、満足すべきものでなく、またその逆の作業は弱体である。例えば、日本文学が英訳されたものの中には、秀れたものがあるが、その翻訳者は、大部分がアメリカ人である。

● 国際会議の公用語である英語における日本人の能力は、豊かなものとはいえない。

● 日本の学校教育の中での英語教育は、時代即応性の点からいっても概して貧しいものである。

● 正規の学校で行われている英語教育--これにはたいへんな努力が払われてはいる--を改善することしかない。例えば、現在、学校で教ベんをとっている五万人を上まわる英語教師を対象にした再訓練計画が必要とされ、古い教員の再訓練や、新しい教員の養成にあたっては、その多くを海外に派遣し、長期の訓練を受けさせるか、それとも海外から若いネイティブスピーカーを日本に招き、英語教育機関に配属するか、実際の授業に参加させるかのいずれかを選ぶべきである。

というようなことである。

筆者のライシャワー博士が、日本及び日本人をよく理解している人であるだけに、もう、目の前が真暗になり、癌の宣告を受けた病人のように、いやかえって自覚症状があるだけに、すっかり打ちひしがれてしまった。

これらの批判の対象になっている日本人は、ふんい気から見てどうやら明治、大正、昭和一桁のように推察され、私自身昭和一桁なので非常にショックも強かった。言い訳めくが、時代背景からいって、私の受けた英語教育は当然満足できるものでないことは自覚しており、機会あるごとに研修に励んではいるが、英語を自由に操るようになるのは、かなり遠い先のようだ。

若い英語の先生たちは、外人の教授陣に指導を受け、性能の秀れた機械で訓練されているので、発音は本物に近いし、積極的にチャンスをとらえて海外へ出かけ、研修しているようだ。若い先生がたは、外人並とはいかないまでも英語を比較的楽に操れるのではなかろうか。昭和一桁は、かなりがんばらなければならない、と思う。

前出のこっぴどい批判を受けるまでもなく、自分の英語指導力の中で特に欠ける種目があることはかねがね承知していた。その一つに、英米人並の思考過程をふむ能力がないということがある。日本に生まれ、何十年も育ったのだから当然のことといえば当然のことだが、専門職に携わるからには、訓練していかなければならない。

例えば、「これが最後のページです」というのに、日本人の八十〜九十%はThis is the last pageと表現するだろう。これが日本人の思考過程である。これで通じなくはないのだが、英米人は、Just one moreで済ませる。あまり良い例ではなかったが、日本人の英語はどこか肩に力が入っている感じがする。生徒にこのへんの感覚を教え込むには、まず自分の感覚を英米人並に変えねばならないのだが、これが困難なのである。前出の批判は、こういう日本人の感覚にまでふれているように思った。

中学校の英語教育は、その後の上級学校での英語の基礎という意味もあって、文法に忠実に、何がなんでも型にはめてしまうので、どうしても一層に力の入った文が多くなってしまうが、英米人並の思考過程で、弾力性のある、楽しい授業にしなければと思う。

(白河市立白河南部中学校教諭)

 

 

 


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