教育福島0040号(1979年(S54)04月)-027page
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梨の花
馬目行雄
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真っ白な梨の花が、低い山なみを越えて続いている。その中腹の一軒の農家、その庭先に立って、私はこの四月に入学したばかりの生徒の父親の野辺の送りを見送った。そして遺影をだいた彼の姿が、梨畑をぬうような山道をたどって林の中に消えていったとき、ふっと私の頭の中に一人の卒業生の顔がうかんだ。
本校に赴任して間もなく、吹奏楽部の副顧問に任命された私は、一人の折目正しい生徒の来訪をうけた。それは部長のTだった。
「吹奏楽部の部長のTです。今度私たちの部の顧問をして下さるそうですが、どうぞよろしくお願いします。」そんな短かい言葉だったが、その中には目上の人に対する礼儀と新任の教師に対するこまやかな心遣いさえ感じられてすがすがしさと同時に、おどろきにも似た思いをいだいたが、一年という短かいつき合いの中で、それらのものがどこから生まれてきたのかを私は教えられた。それは部活動にかける情熱からだった。
彼は余暇のすべてを部活動に投入していた。ときとして、ほとばしる情熱におし流されそうになりながら、毎日を懸命に生きた。一日として惰性に押し流されるという日はないように思えた。あるときは焦り、あるときは怒り、またあるときはよろこび、そんな打ち込む毎日の中で彼は知らず知らずのうちにみずからをみがき高めてきたにちがいない。
そういう彼の姿を見て、私は身のひきしまるような思いをしたことがいく度かあった。それは自分の生活をふりかえさせられるということだった。
人は誰でも情熱を持って生きる。しかしひとつの情熱をしか生きられない。その持てるたったひとつの情熱を、教師という道の中に見い出したはずの自分が、性急な効果を期待してつき進んでは押し返されることの続くなかで、次第に事なかれ主義的な生活の中に流れこんでいきそうになるとき、身近に見る彼の姿が、私にそうした毎日を検証させる力となるということだ。辛い自覚だったが、むち打たれる思いだった。「自分以外の人は皆自分の師である。」という言葉があるが、まさに私にとって生徒もまた私の師である。長い教員生活を送ってこられた、尊敬する大先輩の折々のお話の中で、ふっと、「自分のこれまでの教員生活をふりかえってみると、ときどき何か空漠としたものを感じる。」とおっしゃったことがあったが、その先輩にこういう思いをいだかせるほど難しい、教師という仕事を最後までなしとげていくために、私は情熱を忘れず、生徒とともに生きることによって生徒から学ぶ心を失わずに生きていきたいと思う。
私のこんな思いを知ってか知らずか卒業前の送別会がひらかれたとき、Tは全員を前に出して輪にならせた。そして「先生も入って下さい」。というのでその輪の中に入ると、全員に両腕を交差させて、それぞれの両脇の人の手をにぎらせた。それは部員に、心の輪を伝えようとしての発想だったが、私には、彼の情熱を全員に分け与えようとしているように思えた。三年間一つのことに打ちこんできた。そのかけがえのないたった一つの情熱を一、二年生一人一人に伝えようとしているように思えた。そして私にも。
今、私はこの情熱を、父を失くした私のクラスの生徒に伝えたいと思う。同じような境遇の中で育った先輩が、どのような情熱の中で、三年間をすごし、みずからの未来を切り開いていったかを。
(県立勿来工業高等学校教諭)
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心を一つにした演奏
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