教育福島0041号(1979年(S54)06月)-012page
高等学校の生徒指導
歩こう会開会式(福高)
高校進学率の上昇、情報化社会の進展に伴い、価値観は多様化し、その混迷と停滞は著しいものがある。この中にあって高校教育に占める生徒指導のウェイトは増す一方である。
生徒指導の意義・内容については、これまでも本誌に掲載してきたが、今回は生徒指導担当者研究協議会における話し合いの内容・県内数校の生徒指導の実践例・地域活動の現状等を紹介しながら、生徒指導のありかたについて検討していきたい。
一、教師の共通理解と、校内指導体制の確立
生徒指導における共通理解とは、単にその理念や方法、態度などについての共通な考え方を持つのみではなぐ、一人一人の教師が、組織的、計画的に運営される実践的な場面においても共通の立場をとることである。
すなわち、いつ、いかなる場面で、どのような指導を行うかということについて、教師間の共通理解が得られるならば、生徒指導体制に必要な条件の大部分が整えられたとみてよいであろう。
しかし現実には、教師間の共通理解を阻む要因も多く、解決が困難な問題も少なくない。教師とてそれぞれが個・性的な存在である以上考え方や人生観、価値観の違いは当然のことであり、その上に立って、互いに共通理解を求めようとすることは容易なことでない。
このような問題を克服して、共通理解を果たすためには、教師相互の信頼に基づいた人間関係が不可欠であり、その雰囲気を醸成するような教師集団であることがたいせつである。
昭和五十三年度の高等学校生徒指導担当者研究協議会においては、これらの共通理解の確立やそれを阻む要因、そして、各学校における指導体制についての話題が多く、このことが昨年度の協議会の大きな特徴であったといえる。以下いくつかの点をとりあげて検討してみる。
(一) 全教師が担当する生徒指導
この協議会で「指導部一一〇番」説が話題となった。これは生徒の指導について、すぐに校内電話等で指導部に連絡してくるということらしい。
また、教科担任がホームルーム担任に、「先生のクラスの○○は、いつも授業態度が悪くて困る。じゅうぶん注意してほしい。」と告げにくる教師が多いという事例も多く出された。
1 生徒指導はあらゆる教育活動に機能し、すべての教師が担当するものであることはいうまでもない。
その場で指導することに手をぬき、ただ報告することだけでは、共通理解の上に立った生徒指導とはいいがたい。
2 ホームルーム担任は、生徒指導を直接に担当する第一人者であり学校のさまざまな分野における教育活動を統合し全人間的な指導を展開する役割を担っているが、他のすべての教師のそれぞれの立場からの協力を得なければならないことはいうまでもない。
3 すべての教師がそれぞれの立場での指導を果たすことが何よりも先決であり、その上で連絡や報告を互いにとりあうことが生徒指導体制の基本であるといえる。
(二) 教師の指導性
いわゆる「教師の指導の姿勢」も長時間話し合われた。例えば、生徒の遅刻指導に当たって、あるホームルーム担任は、「どうも自分がしばしば遅刻しているので、生徒にあまり強いことがいえないよ。」と消極的にならざるを得ない教師のあり方が問題になった。教師みずからの基本的生活習慣の確立に、厳しい反省を求める発表や発言が多くこの協議の中では次のようなことがまとめられた。
1 生徒指導の仕事は広範なものであり、また一面、全人格的なものであるから教師自身がたえず研究と修養に努める必要がある。
2 教師はみずから学びみずからを伸ばすことによって、生徒を真に教育しうるものであり、その教師の実践の姿こそ教育を効果あらしめることを、お互いに自覚しなければならない。
(三) 全教師による全生徒の指導
おかしなセクショナリズムがあって、