教育福島0041号(1979年(S54)06月)-024page

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一時間の中で

讃岐勘次

す等、子供らしいざん新な考えがつぎつぎとでてきて授業が続けられていった。

 

「では、まとめると○○のかど、ということになるね。他にないだろうか。」(身のまわりから、垂直な直線をさがす。)という学習で、図画板のかど、定規のかど、教科書やノートのかど等いろいろな考えがでそうになったところである。子供たちは、出ばなをくじかれたように一瞬静まりかえった。"あっ、あった。"一人が突然大声をあげた。「机に鉛筆を立てることも垂直だと思います。」なるほど、子供らしい発想だなあ、と感心していると旗ざおを立てる、柱をたてる、棒をたてるがでてきた。○○をたてる、とまとめる"もっとあるのになあー。"子供のつぶやきがあちこちから聞かれる。「先生のフエが、さがっている糸と、その木のところ。」横木のことを何というか表現につまっている。横木と糸との関係を補足する。○○をさげる。しばらく沈黙が続く。「もうないかな。まいったようだね。では、先生のとっておきのものを言おうか。」"まだまだ、もう少し考えさせて"子供たちの目の色がかわってきた。どの子も身をのりださんばかりである。-よし、きょうは満足のいくまで出させてみよう--と心にきめた。「先生、たんすをひくということも垂直に関係があるのではないですか。」珠算一級の女の子、すばらしい考えだ。○○をひく「くいを打つこともー。」ふだん発表できない子のたどたどしい発表に、近くの子から、"くいをまっすぐに打ったときだべ"と助け舟がでる。「材木を切ったとき。」これもあまり発表のみられない子"おかしい""わからないなあ"あちこちから声が出てきた。発表した子は、真剣にわたしの顔をみている。助け舟が心要だな。黒板に図解をして説明してやる。わからない、といった子もようやく納得したらしくうなずいている。このあとも、ねばす、もぐる、たらす等、子供らしいざん新な考えがつぎつぎとでてきて授業が続けられていった。

わたしの学校では、教育目標の具現化(創造性があり、協力的で実践的な子供を育てる)に主眼をおき、毎日の活動を続けている。わたしが今やらなければならないことは、一時間の授業をいかに実践的にやるか、ということである。

 

先生!できたよ

 

先生!できたよ

 

わたしは算数が好きである。算数の授業をするときに第一に考えている事は、よい問題を提示することである。広がりと深まりのある問題を考えていくことは、なまやさしいことではないが、わたしのいたらない力量を増し、子供に多面的に考えさせるためには、どうしてもやらなければならない。第二に子供どうしのやりとりを大事にしていくことである。経験をもとに話をする子、思いつきやひらめきをもとに話をする子、どの子も発表という点に焦点をあてれば、すばらしい輝きである。お互いの話に耳を傾け、認めあい、励まし合ってこそ、授業での望ましい人間関係が培われる。第二は、まとめの段階である。初めの問題でいろいろな考えが出れば、次の話し合いが活発になり、終わりに多方面からのまとめが可能になる。このように考えると、やはり要点は問題の提示にある、と考えている。

一時間をすごしてみて、わたしの心の中に変革の事実がなければ、子供をより次元の高いものに引っぱっていくことはできない、と思う。だからこそ一時間一時間の授業実践を大事にしていきたいと考えている。子供の創造性は、わたしの創造性から、と思うとき、一時間ごとの対決に身がひきしまる思いがしてならない。

(会津若松市立一箕小学校教諭)

 

 

 


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