教育福島0041号(1979年(S54)06月)-025page

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異動期雑感

松本和夫

 

〈離任に際して〉

 

〈離任に際して〉

今年の春、平第二小学校から本校に転任してきたが、早くも一か月を過ぎようとしている。しばらくぶりで六年生を担任することになったが、家庭訪問や修学旅行を終え、どうやら子供たちとの歯車もかみ合い始めてきた感じがする今日このごろである。

世の風潮なのか、離任に際し、たくさんの花束を受けはでに見送られたことは今までにはなかったことである。過去に三回、転任の経験をもつが、全く比較にはならない。テレビの影響がこんなところにも表れているのかもしれない。その良否は別として、見送られる当人にとっては、とても心温かさを感じたものである。

ふんい気に乗り易い質なのか、それ程繊細な心の持ち主でもないのに、両腕に余る花束を抱え、一人一人の小さな手と握手を交わすとき、どうにも息がつまり言葉を交わすことさえできないくらいであった。新任地に向かう車の中でも、子供らの顔がちらつき、新しいこととの出会いの不安をいつそう大きくしていた。クラスを受け持っていなかったので、まさか、こんな心境になるとは予想もしていなかったのだが 。

寄せ書きを見、数名の名前が刻まれたオルゴールの音を聴くとき、教師としての喜びを覚え、生きがいと責任の重大さが痛切に感じられるのであった。こんな形で離任し、新しい子供たちと出会うまで、中一日あったのだが、なんとも長い一日であった。

 

グループによる学習も楽しく

 

グループによる学習も楽しく

 

〈新任地での始業式、入学式〉

四月四日は始業式、入学式の日。

居住地内郷から遠野町までは、幾通りかの道があるが、どの道が最短かはまだわからない、この日の朝は、比較的信号機の少ない湯の岳麓を通ることにした。道はくねっていても不測の渋滞にあうことがないからである。

七時に出発。七時四十分に到着。

「おはようございます。」どの子も元気に声をかけてくる。朝のあいさつがとても正しく、元気のよいのに驚いた。驚いたというよりも、昨日までの虚脱感が一度に吹き飛ばされ、とてもすがすがしい気持ちになっていた。

新任の先生がたは、新任のあいさつの中で異口同音にこのことをとりあげほめたたえた。

伝統なのだろうか 。

基本的なしつけのことであるから、伝統というより、ここ一、二年間の努力の現れではなかろうかと考えてみた。と同時に、さらに継承しなければならない責任も感じさせられた。

十時からは入学式。

「 こんな大きな学校で、こんなに広い校庭で。」学校長の式辞の中の一部分である。

「大きな…。」「広い…。」−−全く意外な言葉に聞こえた。

しかし、次の瞬間、まだ前任校との比較でものを考えている自分自身を発見し、そのことが、とても大きな誤りであることに気づいた。

この地に生まれ、育った人にとっては、やはり、「大きな学校」「広い校庭」なのである。この界隈における大枝としての誇りもあるはずである。

ちょっとしたこの言葉から、教師としての心構えを教えられ、キリキリとねじを巻き直しさせられる思いがした。地域の実態をは握し、理解し、その立場に立つことがたいせつなのである。「郷に入れば郷に従え」けだし、まことに名言であることを認識した。

(いわき市立上遠野小学校教諭)

 

 

 


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