教育福島0041号(1979年(S54)06月)-028page

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けんかをしよう

小泉明子

 

ない。ごまかしだ。けんかしないのが仲良しではない、やっぱりごまかしだ。」

 

朝のS・H・Rの時間。前日の清掃の反省が述べられる。「だいたい良くできました。」の、意見が多い。清掃の内容も問題だが、当番のくせに、全然やらない者がいること、そしてそれ以上にそのようにサボっている者に対して、何を言うでもない姿勢に腹が立つ。「サボる者がいれば、そのサボる者の分だけ仕事の量は多くなる。自分に不利益なことに対して、なぜ、腹を立てないのか。サボるなと注意し、それでもサボるようなら、けんかしなさい。サボる者を見過すことが友情ではない。ごまかしだ。けんかしないのが仲良しではない、やっぱりごまかしだ。」

私は決して暴力肯定論者ではないけれど、人と人とが真剣な気持ちでぶつかり合えば、衝突することがあるのは当然だと思う。初めから衝突を恐れていれば、新しい人間関係は生まれないだろう。

 

キミ、前をむきなさい

 

キミ、前をむきなさい

 

体育が終わって

 

体育が終わって

 

Aは新学期早々、二週間近く、欠席、遅刻、早退をくり返している。顔色はさえない。「ずいぶん休みが多いなあ。サボってんじゃないの。」「 」「サボってんじゃないか、と疑われているんだから、理由があれば釈明しなさい。」「かぜをこじらせて身体の調子が悪いんです。だいぶ良くなったから、これからは休みません。」

これまでの、のらりくらりとした態度のAに対し、これは一筋縄ではいかないぞと、腕まくりをして彼と相対すれば、前述のことく、あっさりと一応の落着をみてしまう。人間は相手が誰であろうと、己の自尊心を不当に傷つける者に対して、激しい怒りをもって反発するのが当然であるはずなのにこれはなんとしたことか。私は彼とけんかしたかったのに、意外に優等生的な反応をみせられ、割り切れない気持ちでいっぱいになる。

彼らの引き起こす大なり、小なりのけんかは、自分の力を誇示するための手段だけのようにみえる。自分の内の種々の欲求不満のはけ口として、うっぷん晴らしをしているようにさえみえる。当然、自分より弱いとする級友をいじめるのもいとわない。自主的精神をもつ人間にとって、あるいは、もちつつある人間にとって、けんか、衝突はひとつの正当な自己表現であろうに。彼らには、自主的精神の発達が遅滞しているということか。

だいたいにして、彼らの内に、若者らしい潔癖さ、正義感をみつけることが少なくなったように思う。迫力がなく、は気がなく、自己中心的な小優等生が増えたように感じ、心細くなる。そして、人間発達の上で若者らしさの欠如は、不健康で病的でさえあるのではないかという不安をはらうことができずそら恐しくなる。

「けんかをしてはいけません、仲良くしなさい。」的な教育に、幼いときから慣れ従ってきた彼らの素直な姿なのだろうか。

(県立田島高等学校教諭)

 

 

 


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