教育福島0041号(1979年(S54)06月)-030page

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青春の感動と連帯を求めて

-生徒会指導の実践から-

福島高等学校教諭 三浦賢一

 

校庭の欅(けやき)が若葉して今年も一年生のための応援歌指導が始まった。口笛のメロディが高く低く太鼓のリズムに乗り、時おり名物のげたをたたく拍子もなつかしく春愁の情、ひとしおのものがある。生徒会の四季は、四月「新入生のための案内書」の配布に始まり、三月の「歩こう会」で終わる。

あわただしかったこの一年を省りみ、その歩みをつづってみたい。

一、指導目標と運営のための検討

本校では生徒会係は、生徒指導係から独立した形で位置づけられ、七人の専任顧問によって構成されている。

昭和五十三年度、係としての努力目標は次の五つであった。

1 生徒会に対する生徒の関心を高め、一人一人の生徒が参加して、はつらつとした活動ができる生徒会づくりをする。

2 生徒と教師の相互理解を深め、集団の規律を守り、責任感を持って自主的活動ができる生徒を育てる。

3 生徒会本部と生徒会の基礎組織であるホームルーム会、各種委員会、各部と連絡を取り、共通理解を得て生徒会活動の高揚に努める。

4 望ましい生徒会活動の確立のため各学年、各係と連絡を密にし、生徒会運営の円滑化を図る。

5 創立八十周年行事と五十三年高校総体の成功のために協力する。

進学校ということで生徒は個人主義に陥り仲間意識が希薄になりやすい。また教師も生徒会はどうして必要なのかと生徒会活動の意味を見失い、生徒会活動が盛んになると学力が低下すると短絡的に考えやすい体質が潜在していることも事実かも知れない。私自身学級担任として明日に受験を控えた生徒を前にしたとき、積極的になれなかったような気がする。だが、教帥がその意義を見失っては指導などできるはずはない。生徒たちも三無、四無といわれているように、その是非はともかくとして、あの学園紛争のころに比較し、たしかに問題意識も低くなっている。しかし生徒会の活動を生き生きと行わせる風土がもし消えつつあるとしたらそれは教師の姿勢にかかわるものではないかと思うのである。

共通の目標のもと、友と青春のエネルギーを発散し、努力し感動にひたる体験はこの年代に欠かせないものであろう。けじめある、よりよい活動は学習を効果あらしめる栄養剤であり、消化剤でもある。一つのことに集中する能力は受験に際して生きないはずがない。そのことは今春、生徒会役員の経験者たちが難関といわれる大学に合格してくれたことにもよく表れている。しかしながら理念的には解っても集団的組織活動というのは、身体で体験してみないと本当にその必要性が解らない部分が多いのではないだろうか。

二、生徒会指導の実際

私たちは前述のような本校における生徒会指導上の問題点をふまえて取組んでいった。

生徒会活動が生徒の学校生活を豊かにし、充実したものとするために、まず生徒自身が築きあげようとする姿勢が、生徒会活動の原動力にならなければならないと考えた。そして生徒会活動は、自発的、自治的な活動であったとしても、生徒会活動の意義や性格をよく理解させ、活動に対する意欲づけ、動機づけを行うことの必要性を痛感した。入学時、生徒会主催による「生徒会と部活動について」のオリエンテーションが「案内書」をもとに三時間ほどかけて行われるのもその一つである。そして全職員の共通理解の上に立って生徒会指導ができるよう職員会議でじゅうぶん協議しあい、さらに中央委員会を始め、各種委員会の顧問を、校務分掌上の各係、各学年に委嘱しそれぞれの委員会に出席してもらい助言と理解を得るのもそのためである。

生徒会役員と顧問に課せられた使命は予備校的なふんい気から脱皮し、のびやかな活動ができるよう、全校生徒のための土俵づくりであり、その上俵において生徒や教師が協同することの美しさと喜びを味うことができるよう行司することではないかと思った。

毎年五月、野地温泉で行われる一泊二日の「本部役員研修会」はその土俵づくりの相談であり意義は大きい。

 

 

 


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