教育福島0042号(1979年(S54)07月)-020page
院訪間の三つの形態がある。本県においては、現在、病院訪問つまり床上学習を訪問教育としては考えていない。したがって、在宅訪問と施設訪問を訪問教育として位置づけている。
(2) 教育課程等
訪問教育の対象者は、通学したり、寄宿舎等の生活が困難な状態にある心身障害者としていることから、みずから学習時間等についても障害の状態に応じて制限しなければならない。そこで、教育課程編成等にあたっては、次の事項を基本にすることにしている。
●授業は年間三十五週以上にわたって行うよう計画する。
●週あたり時数は、四時間程度(週二日、一回二時間ずつ)を原則とする。
●児童生徒の心身の障害の実態に応じ養護・訓練を主とする等のくふうを行う。
●なお、学級編成は、五人を標準とするが、地域の特性や指導の実態に応じ適切に行う。
(3) 教育内容・方法
現行の養護学校小学部・中学部学習指導要領において、心身の障害の実態に応じて弾力的、かつ柔軟に定めることができるとされているので、養護・訓練を主とする等のくふうにより実績のあがる教育を展開する必要がある。
なお、この場合、本年度は、図2に示したとおり、障害が精神薄弱を伴う脳性まひおよび病弱、重度の精神薄弱が約九十パーセントを占める比率となっているところから、指導の方向としては、外界とのかかわりのなかで、行動を拡大すること、つまり、全身運動を基本とした運動機能の向上、行動調整に不可欠のコミュニケーション能力の開発(聴覚−発声運動系だけがコミュニケーション行動とは考えない)の基礎となる多様な活動の促進を第一に心がけた指導に徹する必要があると考えられる。
一部には、重度・重複障害児にも集団生活の場が必要であり、むしろその中でこそ能力の開発が図られるという意見がある。一人一人の子供が不在のこうした抽象論は、この教育を不毛にするだけで、何の役にも立たない。必要か必要でないかは、対面する子供ごとに判断して対処すべきであり、行動の発見、展開等には、それにみあったコミュニケーション関係が背景にあって実現するものであることを忘れてはいけない。特定の者(主体者である子供の世話の任にあたる母親や担当教師など)以外の複数の人たちが入れかわりたちかわり、対面相触の状況でコミュニケーション関係をもとうとしたとき、混乱もなく、行動拡大が図られるとしたら、すでにそれだけ複雑なコミュニケーションの処理能力が備わっていたことを示しているわけである。したがって、こうした子供に対して集団活動を考慮しなかったそれ以前の教育のあり方に問題があったことになる。他方、首もすわらない、基本的生活の習慣づけもできておらず、他からのはたらきかけにも、いやがることはあっても、それ以外ほとんど反応をあらわさない子供においては、コミュニケーションのあり方は、もっと厳密に受けとめ、わずかの変化をめざして、地道なはたらきかけのくふうが必要となるはずである。健常者といわれる者の乳幼児期においてさえそうではないか。
●学習の成立条件
教師と子供とのあいだに、教授−学習関係が成立するためには、両者のあいだにコミュニケーション関係が成立していることが不可欠の条件である。
光村図書「小学新国語三年上」に、フォン・フリッシュが解明したミツバチのコミュニケーション行動の観察がとりあげられている。巣箱から餌場までの距離が百メートルを境に、仲間に知らせる方法が異なり、百メートル以内だと(近いと)円型ダンス(C)をし、百メートル以上になると8の字ダンス(8)にかわるという。この関係を文字信号に変換すると図3のようになる。
Xn又はXfから発せられた信号のもとになる信号源組は受信信号に変換され、さらに、仮定される信号変換操作過程をとおして発信信号組に変換される。これを(n-c)及びy(f-8)と表すと、これらはX(信号源)のなかの疲労度および視覚型(太陽の位置)に対応する信号部分が、信号の処理過程をとおして適切な役割に変換されて発信信号組となる。つまり、近いと円型ダンス遠いと8の字ダンスは疲労度を信号源とした信号特性が行動調査に作用項としてはたらいているわけである。図3にy(n-c)及びy(f-8)を中継ぎとして挿入すると図4となる。本能行動においてさえこうなのである。
図3
Xn−−−−−→Zc
Xf−−−−−→Zg
図4
Xn→y(n-c)−→Zc
Xf→y(f-8)−→Zg
図5
Xss→y(ss-so)→Zso
一般に、行動心理学では、「刺激→反応」という図式で考えられているが刺激はここでいう信号源であって信号とは考えない。ある者には刺激が信号になりえても、別の者には信号にならないことがあるからである。英語が分からない者には、英語は刺激となっても行動調整の作用項である信号ではない。また、「いくら教えても分からない」というのも刺激を与えていることにはなるが、行動調整の作用項として受信されていないという点で信号とはいえない。生体Aのある型の行動αが、生体Bのある型の行動βをおこす作用項となっていると考えられるとき、生体A、Bは「コミュニケーション関係にある」という点からみて、それは明らかである。
動く重症児といわれる子供がいる。動きが激しく、かた時もじっとしてい