教育福島0042号(1979年(S54)07月)-023page
う概念の枠を取り去って教育というものを考える必要がある。
発達段階の高い児童生徒の教育内容と、障害のため未発達段階にある児童生徒の教育の内容というものがそれぞれあり、両者の教育内容を比較して、一方では社会科で憲法を教えることが価値が高く、一方では日常生活のことを教えるから価値が低い。あるいは教育以前だということはあたらない。
価値の高い教育内容というものは、個々の児童生徒にとって「今、何がたいせつなのか。」をもって価値判断されるものでなければならない。
盲・聾・養護学校配置状況
−凡例−
盲学校−−○
聾学校−−△
養護学校
精神薄弱−●
肢体不自由−▲
病虚弱−■
(三) 教育のやりがいを見い出す
S養護学校に重度重複障害児を担任している若い女教師がいる。日々の教育実践もすばらしい。
どんなに心身が重度であっても、真剣に生きようとしているそれらの児童たちを、肯定的に受け入れ、そして、目前の児童たちの病状としての異常や欠陥ではなく、常に児童たちの中にある「伸びよう」「育とう」とする小さな芽(変化)に向けられている。
そういった教師の見方というものは、その教師自身にとって、児童たちは教育可能態として無限の広がりをもった姿としてとらえられているといえよう。
● 無関心であった児童が一瞬のまばたきをもって教師に反応を示すようになる。
● 動かなかった手がかろうじて物に届くようになる。
● 返事のできなかった児童が「あーあー」「うーうー」と返事ができるようになる。
どれも、その児童にとっては大きな成長であって、健常児が難解な数字を解き、百メートル走で自己の記録を伸ばすのと同じ意義を持つものである。
小さな変化を見い出し、それを価値あるものとしてとらえる。あるいは価値ある動きへ高めていくことができれば、教師としてこの教育のやりがいがそこに見い出されるはずである。
また、このような教育というものは、障害児の心身の状態、程度に応じて、教師自身が主体になって計画を立てたり、実践する面が非常に多い。
それは、個々の児童生徒の発達の欲求、課題は何かを理解して指導内容、方法をさぐり、教師自身の手でその実態に合わせて教育課程を作りあげることであって、この実情を教師としての一大魅力として受け入れ、やりがいのある仕事としてとらえることが必要である。
(四)心身障害児教育の専門職を心がけること
教師は、常に児童生徒の側に立って個々の能力、特性等の実態を的確には握して、その発達課題は何かを明らかにする。
そして、どのように教育を進めていくかの筋道をとらえて、それに最もふさわしい教育内容を選択し計画化する。
その上にたって、指導効果をあげるための最善の方法・技法を選択し、必要に応じて修正し、創造することである。
そのためには、心身に障害を持つ児童生徒の教育に関する専門的教養を身につけることはもとより、常日ごろ、児童生徒をとおして、実証的・研究的取り組みが絶えず繰り返されることは極めてたいせつなことである。
これは、単なる知識や技術の伝授者としての教師ではなく、常に障害をもつ児童生徒の発達にこたえようとする、この教育の専門職としての教師によってのみ可能な教育であるということができる。
(五) その他、望まれる人間的態度・特性について
1、忍耐。学習指導、生徒指導を例にとるまでもなく、一般の児童生徒とは比較にならないほど忍耐を必要とする。
2、豊かな創意性。経験領域の拡大を図る。教材教具を創作する。授業計画にくふうをこらす等、教師に豊かな創意性がなければならない。
3、協調性。単に教師相互の協力だけでなく、施設、病院関係者、さらには、保護者並びに地域の人々との協調を強く保ちながら、児童生徒の教育に携わることが要求される。
4、健康。学習内容・方法によっては教師自身が率先垂範する面が非常に多い。また。児童生徒の介助等この教育に携わる教師は、常に健康に留意し、概してすぐれた体力の持主であることがたいせつなことである。