教育福島0042号(1979年(S54)07月)-025page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

いつでもどこでも

 

佐藤支巳子

 

佐藤支巳子

 

である。生徒の気持ちを日ごろの何倍も推し測ることのできた一週間であった。

 

の成り立つことを示せ…どうあがいても解けない。私は時間を見つけるのに苦労している聴講生である。すんなり解けるはずはない。まず高校の教科書を見る。文字通り見るに近い学習態度で遠い昔にもどる。さらに大学の代数、解析へと合間合間の勉強で解けたのはなんと一週間後である。生徒の気持ちを日ごろの何倍も推し測ることのできた一週間であった。

落ちこぼれるのか落ちこぼしなのかと、様々な分野でうんぬんされているが、生徒は落ちこぼれたくない、教師はもちろん落ちこぼしたくないと、双方が努力に努力を重ねているのである。数学であればわかる・わからない″は明らかで、わかった状態で授業を終えても、できる・できない″といった問題が付随している。いつでもできる状態まで引き上げるには相当の時間と努力が必要である。そしてそれは、上位の生徒をも満足させるべき授業の中だけでは困難である。様々な手だてをしてもなお、一時間の授業では限界がある。かといって、生徒の意欲を持つだけでは解決にならない。

そこで、場所を設定しない指導を始めた。職員室では若干抵抗があるであろうから、わからない所があれば、いつでもどこでも先生″と声をかけようというのである。しかしこれは、最初考えていたほど甘くはなかった。一人一人のレディネスが違っており、各々それに基づく指導の手を加えてみると、意外に忍耐を要するのである。その日の都合で手をぬくことは許されないし、一度で納得できない生徒が多いので、その程度を毎日少しずつ高めた指導をしなければならない。しかも間違えば、その日に処理しないと効果がないので、朝、昼、放課後と指導することになる。引っぱる方もついてくる方も容易なことではない。いきおい時間的に縛られ、他の活動に影響するのでうまく時間を見つけなければならない。

そんな中で、A子のグループは最後までよく努力した生徒たちである。持参した問題を解決させるには、一日二日の指導でできるものではなく、分数の復旧が二週間、文字式が二週間、簡単な方程式が一週間と続いたのである。一か月過ぎたころから姿勢が変わってきて、こちらで出題したものの他に、教科書をもとに復習を始めるようになった。そして係数が分数の方程式を処理することができるようになり、自分の手もとに問題がなくなると、問題集を借りていくようになったのである。

苦しみの後に喜びがある″とよく聞くが、苦しみの後に喜びがあるのではなく、苦しみの中にこそ喜びがあるのではなかろうか。生徒の姿がそれを物語っていたように思われる。また、解けた″という小さな喜びが、ぐいぐい生徒を前向きにしていくのをみるとき、その内的報酬のたいせつさを改めて痛感したのである。今は退職なされた岩沢校長先生から「数学を学ぶ喜びを与えうる教師たれ」と、一生かけても解決できないお言葉をいただいたが数学を学ぶ喜びを与える″どころか、いっしょになって苦しんでいる有様である。まことに未熟な段階で、山ほどの問題を抱えている。毎日何人かやって来ると、その子の持つ能力までほり下げて、問題解決までに到達させてはかえす日々、忙しさにキリキリまいしながらできたよ″という声に励まされ、いつでもどこでもと言い続けているのである。そして自分もまた、まだ苦しみの中に喜びを見出し得ないまま、わからない、できないと言いながら、ときには一問に一週間もかけて問題を解く毎日なのである。

(塩川町立塩川中学校教諭)

 

いつでもどこでも

 

いつでもどこでも

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。