教育福島0042号(1979年(S54)07月)-027page

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定時制つれづれ

 

佐々木孝司

 

佐々木孝司

 

黄昏色(たそがれいろ)から始まる夜の学校。昭和二十三年に発足した定時制課程も、三十年の歳月が流れ去った。而立の年齢でありながら、生徒数が減少の一途を辿っていることを考えると心もとない。「勤労青少年」と謳(うた)われた時代は遠き良き時代となった。日本人特有の懐古の情だけの判断ではない。巷(こう)間においては、いつ定時制が募集停止になるかと風聞される昨今である。進学率が九十二パーセントの大台に乗ったことを考えると、定時制設立の効果も多くあったのではないかとあんどする。反面、生徒数の減少に抵抗するために非行歴等のない志願者は合格させている。生涯教育における何年間かの学校教育の分野に参画しているが、残りの少数派に行われる指導は困難度が高い。どのような指導をなし、生きがいを見いださせるのかは、教育の原点として真価を問われる切実な問題である。

何を目標として登校するのか。調査では「仲間とのふれあい」「高卒の資格」「教養を得る」の順で答えてくれる。真実はどうか。機械を相手にノルマを果たす毎日の職場。特殊な生活歴を背負う生徒の意識されない疎外感をいやす所、人間的平等さを保てる所は同じ境遇の仲間がいる夜の学校にほかならない。教師は生徒のさまざまな要因に目を向け、大らかな気持で中学校時代までのレッテルを削除させてやらなければならない。現に社会生活を営んでいる生徒たちには(多くは我流の主観を先行させたものであるが)物事や言語への直接的(粗野)な反応が多い。それを包括理解する姿勢も教師には不可欠なものである。

五十六万余名の生徒数を誇った時代の気質は既に消滅し、五、六年前のように「生徒にわかり易い授業をしてくれ」と詰め寄ってくる者もいなくなった。個別面接等で、不幸な境遇にもめげず勤労に勉学に励んでいる生徒と接するとき、自然に頭の下がる思いがする。しかし、准看生徒の目標はどうやら定まってはいるが、他の生徒の目標は皆目見当さえつかない実態である。

片肺飛行で卒業した者が、みやげ持参で久し振りに職員室を訪れた。「定時制は甘いよ。もっと厳しさが欲しい。真の社会は厳しいもんだよ。云々(うんぬん)。」と得々と述べるとき、ロングヘアー時代の彼と二重写しにはなっても、なぜか心からは笑えない。教師の宿命と嘆きもできない。その声の背後に脱落した四割もの彼の仲間を思う。アフターケアはもちろん、脱落者への指導もあると痛感する。悲哀感が浮遊し、痛飲しても、その味は苦く憂さは晴れない。

卒業生も脱落した者も、歳月の流れとともにいつしか青春を懐かしむことがあろう。記憶の水脈(みお)をひき出したとき、夜の学校を真から埋没された青春であったと感じるのだろうか。

今年も、暗い夜間照明の下で八十名の生徒会行事が行われた。この時ばかりは主役の面々が、真剣なまなざしで球技大会に汗を流した。先験的なことを重要視しがちな私は、その態度に矛盾を感ずる程に麻痺しているのではないだろうかと自省する。進学率の向上に伴い、定時制が教育という風景の片隅に追いやられ、消滅してしまうことのないことを祈ってやまない。

−−毎日同じ仕事の繰り返し。人間って本当に孤独に生まれてんのね。「生きがいって何だ」なんて急に言われても困るよ。そんなの探す余裕ないもんね。ねえ先生、それより考査を○×式にしない? 自動車免許の学科は考えてるよなあ。俺たちが免許とらないと車が売れない。車が売れないと企業が困る。企業が困れば国も困る。先生、俺たちに意欲を持たせてよ。ゆとりでさあ。

(県立白河第二高等学校教諭)

 

球技大会 学年対抗バレーボール

 

球技大会 学年対抗バレーボール

 

 

 


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