教育福島0042号(1979年(S54)07月)-041page

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高校生の政治的活動

 

知っておきたい教育法令

 

はじめに

 

高校生の政治的活動は、昭和四十三年ごろから高校関係者が、生徒指導上特に関心を払い、日夜心労した問題であった。特に、磐城高等学校における学校の指導に服さなかった生徒退学処分に係る裁判は注目を集めた。この事件について本年五月二十九日仙台高等裁判所は生徒の控訴を棄却し、校長の退学処分が正当であったという判決をした。この判決に示された学校教育における生徒の立場についてふれながら高校生の政治的活動を見直してみたい。

 

一、教育の政治的中立

 

高校生の政治的活動を考える場合、まず、公教育としての学校教育における政治的中立性に留意しなければならない。学校教育の政治的中立の基本を定めたのは、教育基本法第八条である。すなわち同条は、第一項で政治的教養の尊重、第二項で学校の政治教育及び政治的活動を禁止している。

第一項は、公民たるに必要な政治的教育の重要性を述べたものであり、政治的教養とは、具体的には、「わが国の民主政治の根本規範である憲法および原理を具体化した民主的諸制度に関する理解を意味する。」(田中耕太郎『教育基本法の理論』六百七ページ)学校教育の場においては、各教科及び教科以外の教育活動を通じ、政治的教養を生徒に身につけさせるべく、計画的、組織的に指導している。

第二項は、学校教育が本来の目的を達成するためには、一党一派に偏してはならず、政治的中立を保つ必要があることから学校が特定の政党を支持し又はこれに反対するための政治教育あるいはその他の政治的活動を行うことを禁止している。この学校には、教育の主体となる教員が含まれることはいうまでもないが、生徒は学校の中に含まれないと解されている。

 

二、高校生の政治的活動の制限

 

次に高校生の政治的活動についてであるが、高校生は近い将来独立して社会生活を営むものとして能う限り市民的自由を賦与することが好ましく、基本的には政治的活動の自由を有すると考えられる。しかし「高校生は、いまだ心身ともに発達途上の段階にあるものとして学校において政治的教養を培う過程にあるうえ、学校という公共施設を利用するものとして学校の管理権に服すべき立場にもあるものであるから、その政治的活動は……全く自由なものとして是認されてよいわけではなく、高校生としての身分あるいは学校秩序の維持の面からの制約が及ぶのは止むを得ない。」(仙台高判)

従来各学校において指導してきた、「校内での政治的な文書の掲示や配布集会開催などの政治的活動禁止等」のの措置は、教育的にも法律的にも正しいことが明確にされた。(「高等学校における政治的教養と政治的活動について」(昭44・10・31文部省)参照のこと)

また、校外における生徒の政治的活動についても、前述のような理由から高校生の政治的活動は望ましくなく、活動に参加しないよう指導するのは当然である。

 

三、生徒の学習をする権利との関係

 

高校生の政治的活動は、生徒の学習をする権利に基づく学習内容の選択であり、行使であるという意見がある。このことについて仙台高等裁判所は「公教育機関としての学校が、その目的を効果的に実現するためには、自ら樹立する一定の方針の下に計画的、組織的な教育活動を実施し、生徒をこれに服させることが必要となる。してみれば学校教育における教科内容、方法とも学校側が決定し、生徒はこの学校側の定める教育課程に服すべきは当然で、もし生徒が自主的学習の名のもとに自らの判断で学習内容や方法を選択することになるならば、学校の方針、計画を狂わせ、ひいては集団教育の場としての学校秩序にも混乱を招きかねない。」と判示している。

高校生は、発達段階からみて、特定の思想に偏ることなく、広く深い人生観や世界観を養い、豊かな情操を幅広い視野のもとに物事を考える態度を養うことが期待されるのである。

 

 

 


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