教育福島0043号(1979年(S54)08月)-024page
三年目の反省
渡部岩男
この四月、初めて転任というものを経験した。離任式のときは、「ちょっとカッコイイあいさつを…」と考えて壇に上がったのだが、考えていたことは何一ついえず、思わず口から出た言葉はたったふたことであった。
「いろいろお世話になりました。さようなら。」
それも小さい声でボソボソといえたきりで、およそカッコイイというものにはほど遠いものであった。
だが、今にして思えば、なんと自分の気持にピッタリ合った言葉だったのだろうと考えるのである。
新任で右も左もわからないぼくを、「先生、先生」とうまくほめながら、教師のいろはを教えてくれたのは、まさに彼らにほかならない。彼らからいわせれば、「なんと手のかかる先生だろう」という事になるにちがいないと思われるからである。
ただ、「若い」というだけで、子供たちは喜んで接してくれたように思われる。しかし、そういう子供の姿に、ぼくは甘えてしまっていたのではないだろうか。「若い」ということは活用すべきだが、それもあと二、三年もたてば色あせてくるにちがいない。
「若いから」ということで、先輩からは大目に見てもらい、父兄にも少々のことには目をつぶっていただき、子供たちからも許してもらい、自分はいったいどれだけ子供たちを許したことがあるだろうかと考えると自己嫌悪に陥らざるを得ない。
宿題を忘れたといってはしかり、忘れ物をしたといってはしかり、静かに話を聞かないといってはしかり、まるでわざと意地悪く、子供の欠点ばかり見つけようとしていたように思われてきて、自分がいやになってくることがある。
新任で教壇に立って間もない日、子供たちがいっこうにいうことを聞いてくれないので、教壇の上に寝ころがったことがある。
最初子供たちは不思議に思い、困惑し、最後に怒ってきた。
口論になった。
「なんで先生は、あんなことをしたんだ。」
「やりたいからやったんだ。」
「それでは理由にならないと思います。」
「それじゃいうが、みんなだってやりたいことをやっていたじゃないか。みんながやりたいことをやっていたのでは世の中どうにもなんないと思う。」
戦いは、一見ぼくの勝利のように思われたが、この事件によってぼくはたいへん反省させられた。というのは、この事件と全く逆の立場で、いつも、子供をしかるたびに、ぼくは子供たちに同じようなことを問われていたのではないかということである。
子供たちがぼくを批判したように、ぼくが子供たちを批判するとき、子供たちはぼくに向かって、
「私たちも、実は先生にそれをいいたかったんですよ。」
ということをいっていたように思われるのである。
子供たちをこのように変えたい。こうならないかなあ、どうしてこうならないんだろう、全然いうことを聞かないなあ……、とつい考えて、しかってしまったあとで、子供たちのこんな言葉が聞こえてきそうな気がするのである。
「人間が性格や態度を変えようとするには、たいへんな努力が必要なんですよ。自分は全然変わろうと努力せず私たちだけを変えようとするのは無理な話じゃないですか。」と。
(桧枝岐村立桧枝岐小学校教諭)
子供の成長のために