教育福島0043号(1979年(S54)08月)-025page
心にのこること
渡辺富子
Hとの初めての出会いは、今から十五年前、Hが五年生の時だった。
前担任との引き継ぎには「問題の多い子」と書き添えてあった。そのころのHは、学習に対する意欲もなく、自分の意にそわないとすぐに暴力をふるうことが多く、友達からも孤立していたということだった。
そんなHをなんとか私の手に掌握したいと種々試みたが、いつも私との間に距離を置き、「フン。くだらない。」といった変に大人びた態度で心を開こうとはしなかった。
私は、家庭の協力を得ようと家庭訪問もしたが、酒好きで、いつも酒の臭いがたえない父親。また働くことでせいいっぱいの母親では、若い私の話に耳を傾けてくれるはずはなかった。
そのころ、私は、子供たちとのふれ合いを深めるために、放課後の時間は、常に何人かの子供を残し、話し合いをしていた。
そんな一学期のある日、Hは、また友達に暴力をふるった。私は、そんなHが心配になり、放課後残るようにいいつけ、教室で仕事をしていた。Hは私に反抗を示すそぶりであったが、頓着せず仕事を続けていた。そんな私のそばに来て「どうせオレが悪いんだ。前の先生もそうだった。きっと、先生もそう思っているにちがいない。」とつぶやいた。
その瞬間、私は、ギクッとした。ある種の先入感により、この子を一つの枠にはめてみていたにちがいないという考えが、私の脳裏を走った。
私は、次のように話しかけた。
「うちにもHという子がいる。丈夫ですなおな子に育てようと思い、つけた名前だから、君を呼ぶたびに、うちの子をおもいだす。また、スポーツ万能の君のように育ってほしいと思う。もし、君を悪い子だと思っているとしたら、君の席を、一番目の届きにくいところには決めないよ。君を級のリーダーとして信用もし、頼りにもしているからこそ、今の席に決めたんだ。自分で悪い子だと思うなら、先生の目の届く場所に席がえするんだね。」と。
そんなことがあってから、Hの態度に少しずつだが変化がみられるようにになった。
調子にのり、はめをはずした行動のあとには、私が何もいわないうちに、「大丈夫。もうやらないから。」などと自分から反省もするようになり、スポーツでは、級の中心となり、積極的に活動するようになった。
卒業も間近いある夕方、裏口によっぱらいがいるとのことなので、外に出てみると、そこにHの父親が立っていた。驚く私に、「ちょっと先生の顔がみたくなったもんで。Hもおかげさまで卒業できそうです。商売ものですが…」。と新聞紙につつんだ卵を持参してくれた。今まで一度も学校に顔を出してくれなかった父親が…そう思うと、Hのためにもうれしくなった。
Hが、高校に進学した。夏の午後、一台のトラックが玄関前に止まり、助手席から、「今、アルバイトをしているの。暑くてたまらないから、冷たい水を飲まして。」とまっ黒く日焼けしたHが顔を見せた。そんなHをみて、思わず涙ぐんでしまった。
「先生。ぼくは大丈夫だよ。」とにっこり手をふりながら去って行ったH…。
あれから十年。時々私を訪ねてくれる社会人のHに接するたびに、どんな問題を持つ子供も、何らかのよい点を持っていると思われる。教師は、それらをは握し善導し、温かい心で接してやることが、いかに重要であるかを、しみじみと感じられるこのごろである。
(保原町立保原小学校教諭)
子供とともに