教育福島0044号(1979年(S54)09月)-025page

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勉強のけんか

 

根本美和子

 

…ぼくたちと違う意見の人と勉強のけんかをしたとき、おもしろかったなあ。

 

……「動物の体内時計」では、ムササビは、リスに近い種類の動物なのに、夜暗くなってから活動するから、少し変だなあ。リスは飛ばないのに、ムササビは飛ぶから、かっこいいなあ。…ぼくたちと違う意見の人と勉強のけんかをしたとき、おもしろかったなあ。

 

……「動物の体内時計」では、1の問題文でみんなで言い合いをし、次の問題文でも言い合いになって、それがとてもおもしろかった。またこういう勉強をしてみたいなあと思った。六年生になっても、こんなにおもしろい説明文が出てくればいいなあと思う。

 

これは、わたしの学校の「説明的文章を読み取る力をつけるにはどうしたらよいか。」という研究主題に基づいて説明文「スズメと人間」と「動物の体内時計」の読み取りを終えた後の感想である。

担任早々、児童に、「この学級をどんな学級にしたいか。」と聞いたところ大半が「明るい学級」「いじわるをしない学級」「友達に親切な学級」など交友関係をよくしていきたいという希望であった。今春まで、五、六年と担任した学級は、当初、交友関係がうまくいかず、不平不満の多い学級であった。朝の会、学級会、反省会をとおして友達の良い面や善い行いを見つけさせお互いにほめ合いながら、「なかのよい学級」づくりを進め、卒業式の時には、おもいやりのある生徒になってくれたと自負しながら、その苦労を懐かしく思い返していた。今年度は、交友関係が落ち着いていて、生活面も学習面もスタートがたいへん順調であった。しかし、休み時間になると、全員が校庭に出てサッカーに汗を流し、入院した友に「バラとかすみ草の花束」を贈り、メダカの卵がかえったと大喜びするそんな中で、昨年の児童とは違った物足りなさを感じるようになった。それは、学習の中で、自分の考えを主張して、自分が納得するまでは、絶対に譲歩しようとしない強さを持つ児童がいないということである。疑問点に対して質問はするけれども、徹底的に追究して言い合いになったり、お互いに譲らないで、本気になって考え合ったりすることがないということである。

「学級の友達となかよくすることは、とてもたいせつです。だからといって、お互いに遠慮して、言いたいことも言わないのはよくありません。サッカーをするとき、なにかと言い合いするように、勉強のときにも言い合いをしなさい。勉強のけんかをしなさい。」というわたしの言葉に、うなずいてはくれたものの早急にできることではなかった。

そんなある日、六月六日の学校訪問の日が、そのきっかけをもたらしてくれた。予習課題に対して、二つの考えが出てきて、それこそ、わたしにとっては、勉強のけんかをさせる絶好のチャンスでもあった。児童も生き生きと発表していたが、時間の都合上、話し合いをいったん打ち切らなければならなかった。わたしは物足りなさを感じたが、児童も同様であった。というのは、次の日、再び対立意見が出ると、

「先生、この時間は、昨日の分まで自分の考えを述べさせてほしい。」ということで、勉強のけんかをすることに決まったからである。こんなにも生き生きと自信を持って発表する児童たちの姿を見たのは、担任二か月にして初めてであった。

「先生、勉強のけんかって、とてもおもしろいね。」

「先生、次の三時間日も、また国語の勉強しようよ。」

というわけで、今、わたしは、児童たちに勉強のけんかをさせようと、奮闘しているところである。 

(表郷村立表郷第五小学校教諭)

 

よく見てもう一度考えよう

よく見てもう一度考えよう

 

 

 


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