教育福島0044号(1979年(S54)09月)-034page

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視聴覚ライブラリーからセンターへ

 

視聴覚ライブラリーからセンターへ

 

郡山市教育委員会

 

わがまちのしゃかいきょういく

 

山視聴覚教育センター」として新しく発足、事務局を郡山市図書館においた。

 

郡山市視聴覚ライブラリーは、ご多分にもれず、太平洋戦争後、連合軍の政策転回のひとつとして、十六ミリのナトコ映写機とCIE映画(民間情報教育局製作の教育映画)との使用によって始まった。昭和二十三年十月、文部次官の県知事あての通達により、各県に視聴覚ライブラリーが置かれるようになった。その県中地区ブランチ・ライブラリーが郡山市図書館内に置かれ、十六ミリ映写機(ナトコ映写機)とCIE映画が貸与され、担当職員(技師)も配置されて、CIE映画とナトコ映画の一般への貸出しを中心とした視聴覚ライブラリーの仕事が開始された。県社会教育課主催の映写機操作技術講習会も実施され、二日間の受講の後、かなりきびしいテストがあって、免許を取ったことが昨日のように思い出される。その後、CIE映画は、アメリカ民主主義とはなんであるかを教え、いちおうの役割を終え、USIS映画と名を変え、各ライブラリーの尚主役をつとめていた。昭和二十八年頃、全国に自主的な独自の視聴覚ライブラリーの設置がうながされ、郡山でも任意団体として、郡山市教育委員会と市内の小・中学校で組織された「郡山市視聴覚ライブラリー」が郡山市図書館内に設置された。経費は、小・中学校の児童生徒の負担金と市教育委員会の補助金によって運営され、主として十六ミリ映画フィルムとスライド、映写機の貸し出しに重点がおかれた。さらに、翌昭和三十三年、安積フイルム・ライブラリーが、旧安積郡内の公民館、小・中学校及び田村町の一部を併せて、県教育委員会事務局安積出張所内に設立された。昭和三十四年、郡山市図書館が新築されるに及び、郡山市視聴覚ライブラリーは同図書館に移転、その後、二つのライブラリーは、資料の相互貸借、両者の合併などについて協議を重ね、話し合いがもたれた。昭和四十年、郡山市と安積郡内の町村が合併し、さらに八月田村郡の一部が大合併し、今の大郡山市が誕生した。昭和四十一年、郡山、安積の両ライブラリーは合併し「郡山視聴覚教育センター」として新しく発足、事務局を郡山市図書館においた。

その後、施設の公立化をめざして、着々内容の充実につとめ、ついに昭和四十五年三月、十六ミリ、八ミリフイルム映写機、自動車を含め、全財産約二千四百万円を市に寄付し、公立化促進協議会が解散した。昭和四十五年四月からは完全な公立ライブラリーとなり、郡山市図書館の機構の中に入り、奉仕係の一部として運営されている。

現在、十六ミリ映画七百五十本、八ミリ映画三百九十本、録音教材八十五本、映写機十台、年間十六ミリ、フイルム約三千本を貸し出しするに至った。

昭和五十三年九月、郡山市視聴覚ライブラリーとして条例化され独立の機関となった。独立したとはいえ、館長副館長は兼務、係員は主査一名、運転士一名のささやかな世帯である。現在図書館自体が、せまくなり、その一隅に前述の資料を守って小・中学校、公民館、各種社会教育団体に貸し出しをして、その学習を中心としたグループサービスを続けている。貸し出しがふえれば、機材、フィルムの破損も多くなり不慣れな操作技術者も多く、その点検と補修に係員が追われているのが現状である。

この視聴覚ライブラリーを大型化し発展させ、教材、機材の購入にのみ補助をしてきた文部省が、昭和四十八年から、さらに視聴覚センターへの補助を押し進めるようになってきた。当館も独自の施設により、映像、放送、音声、教育機器を総合化し、より効果的

 

研修会

研修会

 

 

 


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