教育福島0045号(1979年(S54)10月)-012page

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特集

 

国語

 

国語

 

ら日夜献身しておられることは、まことに貴重であり、ありがたいことである。

 

若い人たちの活字ばなれ、読書ばなれが目だつ状況の中で、高等学校における国語指導も従来以上に生徒の実態を見きわめ、生徒とともに学び考える教室づくりが必要になってきたように思う。新学習指導要領における国語科の改訂は画期的なものであるが、その趣旨は生徒一人一人の上に主体的な国語力を育成することにある。県下五百の高校国語担当の先生がたが、そのような国語科の使命を自覚され、さまざまなくふうをとおして、問題点の一つ一つを解き明かしながら日夜献身しておられることは、まことに貴重であり、ありがたいことである。

次に紹介する実践記録は、とりわけこの目新しい指導法というものではないが、生徒の興味と意欲をよびおこし生徒自身の思考力、想像力、創造性に働きかける授業づくりとして、一つの原型的なものであり、それだけに種々の示唆に富んでいると思われる。

諸賢の生きた国語教室づくりの参考としていただければ幸いである。

 

唐詩の指導から

原町高等学校教諭 遠藤 時夫

 

一、はじめに

 

授業で漢文をほぼ継続して扱うようになって七、八年にもなろうか。私は漢文あるいは中国文学の専攻者ではなかったし、長い間漢文授業から遠ざかっていたこともあって、自信がないまま男子普通科高校の教壇に立った。だから、生徒に教える前に、私自身夢中で勉強することが先決であり、これは基本的には現在も続いている。

二年目くらいからは少しは余裕が出たが、それはあくまでも教科書で教えている限りであって、そこから一歩離れて膨大な量の漢文の前では、ただぼう然とたたずむほかなく、まさに盲目同然であった。幸い中国文化への興味関心は少なからずあるので、これを頼りに、生徒とともに学ぶことを続け、少しずつ教材のわくを拡げていこうと覚悟を決めることにした。

テレビで中国語の勉強も始めた。語学力そのものの上達はさっぱりだったが、「中国」や「漢文」に対して現実的親しみが感じられるようになった。私たちは強い「漢」文化の影響下で生活しているにもかかわらず、現実は漢文の世界は遠いものという感じがあった。中国には一歩たりとも足を踏み入れていないし、米国などよりも「遠い国」でもあった。それで、思想的なものにせよ、歴史物にせよ、私はどうもそれを古代の遺産化し、他者視して扱っていたように思う。それが身近なものに感じられだしたのである。

そのうち、藤堂明保氏の文章の一節にハッとさせられた。それは、語学を勉強する人は、その国の人々、その国の文化を愛する心を持つことがたいせつだという意味のものだった。漢文を学ぶについても同じこと、漢文教材をとおして、中国文化を愛し、それを育ててきた中国の人々を、さらにはその影響下にある日本文化、日本人を愛する心を養うことこそが、漢文教育のたいせつなポイントなのではあるまいか。これなくしては、その知識をどんなに積み重ね、利用でき、日本文化との関係が理解できたとしても、画龍点晴を欠くことなのではないか。

昨年秋、私は国語科指導の現代化を図るにはどうしたらよいかとのテーマで研究授業を試みた。私の担当は一年生の古典だけだったので、漢文教材でそれを行うことにしたが、「現代化」について考えたとき、まず脳裏をよぎったのは、先のような思いだった。

以下は、その指導の一端である。

 

二、指導の概略

 

1、単元名 唐代の詩(一) 第一学年

2、ねらい 二学期になり、少しは漢文になれてきたとはいえ、漢和辞典

 

 

 


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