教育福島0045号(1979年(S54)10月)-026page
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ずいそう
焦らず無理せずマイ保育
渡辺朋子
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もうすぐ幼稚園でも二学期が始まろうとしています。静かだった幼稚園もあと何日か後には目をくるくると輝かせて、おもしろいものや刺激を求めた子供たちのかん声でガラスも割れんばかりになることでしょう。そして私は、子供たちの成長ぶりに目をみはり、話しまくる子供たちにただ「うん、うん」とうなずくだけ。
およそ五か月ほど前、私は成人すると同時に社会の一員となり、さらには教師という責任のある仕事で第一歩をふみ出しました。ほんのわずかな手あそびと頼りない指導しか身につけてないという決定的な不安−毎日何を教えたらいいのだろうか−私はこんな自分が教師になるということの不思議さに首をかしげるばかりでした。
心の準備もできあがらないうちに始まった新学期 私のクラスは二年保育の五歳児で幼稚園での生活は私の一年先輩であり、その子供たちとの生活の中で、実際に生活してみなければわからない細かい生活のルールをどれだけ教えられたかわかりません。
しかし、子供たちと私の関係にも新鮮味が薄れてクラスのふんい気が担任の私のカラーになりはじめたころ、クラスの中ではいろいろな出来事が起きるようになりました。仲間を引きつれて幼稚園を抜け出してしまう子、その子をおそれてその子のいいなりになる子、そして度重なる子供のけが……私はとても不安を感じずにはいられませんでした。
何度も何度も自分の至らなさを反省し今度こそ!と思い直すやさきに、またもやいろいろな出来事が起きるのです。
これにはさすがの私もめげてしまいました。
こんな中で、私がいつも気を取り直すことができたのは、仕事への責任とよくいわれるように自分は未熟でも保育の専門家なのだという自信を失わずにいたことだと思います。たしかに私たち新任教員は理論ばかり並べてみても実際の指導といえば、危っかしい要領の悪いことばかりです。だから不安なのです。
しかし、「未熟な私たちでも二年間という問いろいろなことを学んできたのだ。下手でもそれを試そうとしているのだ。少なくとも私は子供たちよりいろいろな経験をして、いろいろなことを知っている上に、保育の専門家としての勉強もしているのだ。だから子供たちの前で自信をもった態度を示していいのだ。」こう自分にいいきかせながら何か月かが過ぎました。
最近子供たちは心の底から私を先生として信頼してくれるようになり、「ばか」などと叫んでいたいじめつ子もとても素直になり、クラスの良きリーダーとなりつつあります。思えばいじめっ子が登場したあのころ、担任がかわったことや子供たちの成長によって、子供たち自身も私も転換期を迎えていたのかもしれません。
五か月過ぎてもまだまだ失敗ばかりの毎日ですが、私はこれだけは忘れないでいたいと思っています。それは、まわりの人たちがとても親切にして下さっても、たとえ失敗しても初めてということで自分を甘やかし、失敗をうやむやにすることなく、初めてでもベテランの先生であっても失敗は失敗として受けとめて反省し、次の指導のひとつのステップにしていくということです。そしてあれもこれもと欲ばらずに必要なことを一つ一つ確実に身につけて、未熟でもいいから自分が納得いくよう精一杯試してみようと思います。
(塙町立常豊幼稚園教諭)
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さあ、みんなで飛んでみましょう
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