教育福島0045号(1979年(S54)10月)-028page

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ずいそう

 

一学期を終えて

三浦良一

 

れたのは、子供たちのだれひとりいない八月まもない夏休みのことでした。

 

母親から幸枝ちゃんが急に転校すると聞かされたのは、子供たちのだれひとりいない八月まもない夏休みのことでした。

思えば、私が赴任して体育館で新任のあいさつをしたとき、列の後方からおさげ髪を見えかくれさせ、大きなひとみで私をのぞきこむ彼女の姿を、今でもはっきり覚えています。さあ、これからやるぞと張り切っていたやさきの出来事でしたので、別れのつらさがいっそう身にしみました。出会いと別れがこんなに早く訪れようとは思いませんでした。そして私は、ふと彼女に、期間は短かったが満足のいく教育をしてやれたのだろうかと、反省のみがこみ上げてきます。

「確かな学習」「あたたかな心」「りっぱな行動」「じょうぶな体」−これが本校の教育目標です。この目標にどれだけ接近できるか新まえの私には五里霧中で体当たりを開始しました。文字どおりなにもわからない毎日の生活の中での服務、勤務など耳馴れない言葉にとまどい、学習指導、生徒指導など市教育委員会、県教育委員会の広範囲にわたる研修活動を度重ねるうちに、明日への授業についてもなんとか児童に接して行くことができるようになったのです。

忙しい中にも、いろいろな楽しい行事もありました。

集団宿泊訓練では、両親から預かった子供たちのあどけない寝顔を、眠い目をこすりながらかい間見て歩いている自分の立場を思うと、今さらながら「教師としての使命」の重大さにひしひしと胸打たれました。そんな私におかまいなしに、「先生、飯ごうのご飯がこげちゃったよ。」とか、「蜂にさされたよ。」「先生、血が出ちゃったよ。」などと、どんどん素朴な話題を投げかけてきます。教師ならだれしもが経験することの中に、子供たちに頼られている自分、子供たちの中に大きく存在している自分を見い出すことができました。

また、夏休みの最中に開かれる水泳記録会へ向けて、本校中央に面するプールには、水しぶきが舞っています。伝統の重みを耳にしながら、先輩の先生がたの泳法指導をまねることから始めた水泳特訓、的確な指導のもたらすその効果の大きさに驚きを感じました。自分の号令に合わせてビート板を用いたバタ足や手のかきの練習、インターバル式練習と、子供たちが動いてくれるので、自然に練習量も多くなりがちでした。そんなとき、「きょうはやめよう。」という先輩の先生の助言に、一瞬不服を感じたものでしたが、熱がはいりがちな私の態度を、子供たちの健康管理の面から、いましめてくれたものと思いました。気を配らなければならないことの多くあることを、親切に教えていただきました。

この他にも、運動会で指揮審判の係となり、スターターをしたときのことです。高学年と違い低学年はスターターの方を見てしまうので、前方で子供たちと同じスタートの構えをして走らせた私の姿が妙にこっけいとのことで、笑いをさそったこともありました。

このような調子で一学期を終えてみますと、忙しすぎる仕事と、零からの教材研究でのキリキリ舞い。ともすれば自分を見失いがちになりますが、この子供たちが転校や卒業するときに、胸を張って送り出せる教師になりたいと思っています。

(福島市立岡山小学校教諭)

 

楽しい集団活動

楽しい集団活動

 

 

 


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