教育福島0045号(1979年(S54)10月)-030page
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ずいそう
二年目を迎えて
山口哲三
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社会科教師として相馬高校に赴任して以来、すでに二年目の半ばを過ぎようとしている。時の移り変わりの早さに、我ながら圧倒されている感がある。
教壇に立って間もない時期に、桜の花で彩られた馬陵城跡を歩きながら、ぎごちなくも生徒たちに野外調査の方法について一生懸命説明した思い出、また教師の生命は授業にありとばかりに確固たる信念を抱き、勢い込んで授業に臨んだ結果が、教材精選の失敗からあれもこれもと豊富なメニューを与えすぎて、生徒に消化不良を起こさせるという悲惨な結末を迎えて大いに反省した思い出など、例を挙げれば数限りない。そのような試行錨誤の連続のせいか、私のこれまでの人生の中で、教師としてスタートした去年一年間ほど、時の流れをひしひしと意識させられた年もまたとなかったように思う。
しかしそのような失敗続きの試行錯誤の過程において、血気にはやる情熱を最大限にセーブしながら、自分に課せられた当面の問題は何かということを新たに認識することによってある程度のサジェスチョンを得られたように感じた。
まず第一の問題として、とかく社会科という教科が、単なる暗記科目だと考えがちな生徒たちの偏見を取り除くことを挙げ、生徒たちに社会科に対する興味をよりいっそう起こさせると同時に、その深遠さをどうにか理解させることに努めた。しかしこの試みはかなりの問題点が伴った。例えば現在の高校教育において、社会科という教科に限った問題ではないが、多様化している生徒たちのどこに焦点を置いて教材を精選し、また授業を進めていくかという問題点、あるいは講義方式の授業形態のために単調な授業となりがちな欠点を克服する手段として、いっせい授業における適切な個別化を実施するにあたり、いかにして生徒の特性を引き出しながら興味を持たせるかという問題点などである。
私はそれらの問題点を少しでも解決しようとして、プリント学習を試みてみた。プリント作成時には、慎重に教材を精選すると同時に内容の構造化を図ることに留意した。これはなかなか労を要する作業であったが、実際の授業において板書する時間が節約できるということと、その節約された時間に教師の発問・生徒の発言という形態をとり入れて、生徒を主体とした授業をかなり余裕を持って進められたということは、それまで暗中模索の状態にあった私に一つの方向づけがなされたように感じた。しかし、プリントがあるという安心感からくるのか、一部の生徒が授業に集中しないという問題も起こった。だが、全般的には生徒たちの歯車とうまく合致し、それまで不得意科目と目していた生徒たちの興味をうながし、また比較的社会科に愛着を抱いていた生徒に、より深く調べてみようと奮起させるに至った効果が見られたことは私にとって最良の励ましとなった。
二年目を迎えた今年は、生徒の表情から理解度を推量するなど、多少なりとも余裕がでてきたと自負している。しかしこれはあくまでも駆け出しの立場で感じるうぬぼれであって、まだまだ未熟な自分をはがゆく思う気持に変わりはない。その証拠に、今までの自分の授業を振り返って考えてみて、良い授業をしたという満足感、充実感を味わえた日は、ほんの数日であることに気づく。納得のいかない授業をしてしまい、やり切れなさと授業の難しさを痛感させられた方がはるかに多い。
しかしその難しさ故に、それを克服する使命を課された教職に生きがいを感じ、眼前に広がる未知の世界に対し自己の可能性を期待する今日である。
(県立相馬高等学校教諭)
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…ということです。(倫社)
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