教育福島0045号(1979年(S54)10月)-031page
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ずいそう
先生がたと子供たち
中村昌幸
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毎年、四、五月ころにかけて、三月に卒業し、中学校へ進んだばかりの子供たちが、母校である小学校へよく遊びにきます。体に、よく合っていない中学校の制服や肩かけカバン姿の中には、まだ小学生らしさが残っており、それでも中学生だという自負からくる大人っぽさとは不調和的であるが、それがかえってなんともいえぬかわいらしさを感じさせるものです。
その、かわいい中学校の新入生たちが、異口同音に訴えるのは、“分科担任制へのふなれからくる不安と、小学校時代の学級担任にくらべ極端に接触時間の少ないホーム・ルーム・ティチャーに対するわびしさ”に関するものが多いようです。
これは、この子供たちが、小学校入学当時から抱いていた“みとめてもらいたい”“頼りたい”等といった学級担任に対する気持ちが今なお強く残っている証拠ともいえるわけです。
ところが、中学へ進んでみたら、毎時間教科によって指導する先生がかわり、自分たちの学級担任との接触も朝と帰りの特定時間以外にはなかなか持てないといったぐあいで、小学校とは大きく違った環境にとまどいと不安を感じているのです。
小学校時代子供たちが、学級担任に対して不信感や疎外感を持つなど、特異でない限りこうした状態はどこでも見受けるごく普通のことでしょう。
わたしは、これを、学校教育におけるいわば乳離れのような時期であり、子供が精神的独立へ進むためのきわめてたいせつなときであると考えています。
ところで、この三月まで担任した先生がたの新中学生(旧担当児童)への対応のしかたは、まことに当を得たもので、わたしは、先生がたと子供たちの会話の様子に、いつも心温まる思いをしたものです。『みなさんが、小学校一、二年のころは、身のまわりのことや、学習のしかたなど、随分こまいところまで先生のお世話になったでしょう。しかし、次第に高学年へ進むにつれて、自主的にやることが多くなり、先生の直接指導を受けることが少なくなりましたね。中学校では、さらにいっそう自分の責任や力で実践することが多くなるわけで、よりりっぱな人になるためのたいせつな試練のときでもあるのです。ただ、困ったことや特異なことに当面した場合は、小学校のときと同じように担任の先生とよく相談することを忘れないようにしてくださいね。』『また、中学校では、各教科ごとに専門の先生が指導されるのですから、自分の学習に対する考え方や学習のしかたなどを、しっかり確立しておくことがたいせつです。そのためには、小学校で学習してきたように、あらかじめ各単元や各時間ごとの学習課題を自分なりにとらえておき、その課題に対する自分の考えや解決のための方途などをもって授業にのぞむよう心がけることです。六年のとき、努力してきた学習のしかたや習慣をもう一度確認しておくことが必要です……。』
など、小学校時代の再確認やそれと中学校との関連性を考えた指導を楽しいふんい気の中で展開されているのです。
これらの新中学生の悩みや、それに対する小学校での会話内容は中学校側へも連絡され、中学校でも新らしい環境に一人一人の生徒がよりょく順応するよう努力されておりました。
わたしは、先生がたが卒業させた後も、なおその子供たちの将来を案じ、よりょく育てようとする態度はりっぱなものだと感じるとともに、小・中学校の先生がたが具体的な問題について連絡し合うことは、子供の人間教育上欠くことはできないと思います。
何事も、その場かぎりになり易い現代の世相の中で、時間、空間のわくを越えて、子供の教育を考えようとする先生がたの自主的・積極的な教育愛は、人間教育にとってなにものにも勝る根幹的なものであると信じてやみません。夏休みが過ぎ、二学期に入ると、新中学生にも時間的余裕がなくなったのか、姿がちらほらになりますが、そのころになると制服も肩かけカバン姿も板についてくるようです。
わたしも、そんなとき、あの子供たちがうまく中学生活に順応し、落ちこぼれの子が一人もないようにと、心の中で祈るのが常でした。
(伊達郡飯野町教育長)
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