教育福島0047号(1979年(S54)12月)-023page
少なくとも主体部分は伝えられるように西山城内の遺構とみてよい。
小峯寺厨子
所在地 白河市字道場町四〇番地
所有者 小峰寺
小峯寺厨子
白河山小峰寺は弘安三年(一二八〇)一遍上人の開基と伝える時宗寺院で、白川結城氏の菩提寺である。
本堂内にある厨子は、総高百九十六センチメートルの小ぶりな宮殿である
手法からみると長押を使用するほかは純然たる禅宗様建築で、一間、一重寄棟造、板葺で組権の上に建ち、主要部は黒、朱漆、塗金で着彩されている。
両開きの唐戸内側には不動尊・多聞天の漆絵と種子が描かれており、本宮殿が千手観音を安置した厨子であることを示している。長押と虹梁間の欄間には透し彫り技法を用いた秀れた鎌倉彫がある。
この厨子は、室町後期の特色を具備した宮殿であり、扉の漆絵による仏画欄間三面の鎌倉彫は、製作期の明らかなものとしてまれにみるもので、工芸品としても重視すべき遺品である。
絵画
絹本著色名体不離阿弥陀画像
所在地 相馬市小泉字高池前一三一番地
所有者 歓喜寺
絹本著色名体不離阿弥陀画像
南無阿弥陀仏の名号と阿弥陀仏本体が不離であるという思想は古くからあったが、この画像は、梵字?(南無)と阿弥陀仏からなる六字の名号を図案化して尊容を構成し、それに顔と手足を付し、蓮台上に立たせるという卓抜な構図になっている。
この画像は天台系の阿弥陀信仰とは別に、真言密教系の阿弥陀信仰のあり方を示す資料としてほとんど類例がなく、極めて貴重である。
梵字?と阿弥陀仏をもって六字の名号を表すユニークな形式といい、古い図柄になっている。
絵画の手法から、顔の面長、手足の表現、着衣の金箔等、鎌倉中期以降と推定され、暗緑色の蓮肉と紅蓮の花びらが印象的で、作品が並のものでないことは確かである。
彫刻
薬師如来光背化仏 一具
所在地 耶麻郡磐梯町大字磐梯字本寺上四九五〇番地
所有者 恵日寺
薬師如来光背化仏
像高五十四〜四十九センチメートル樺材の半肉彫り、七体のうち三体は、面相が豊頬、丸顔で平安的、残り四体は面長で引きしまり鎌倉的、衣文の彫刻は簡単に省略され、台座付きで、室町時代の彫刻の特色をよく示している。
頭髪は化仏にしばしばみられる渦巻き型の清涼寺様式である。恵日寺の本像は徳一創建の平安初期から薬師如来と考えられるが、史実として明らかになるのは観応元年からである。その後応永二十五年、寛永三年、明治六年に焼けている。この七体の化仏は明治の火災のとき焼け残ったもので、何度か焼失しながらも平安時代以来続いてきた会津恵日寺薬師信仰の唯一の遺品として貴重である。
木造阿弥陀如来坐像 一◆
所在地 二本松市根崎一丁目二四九番地
所有者 善性寺
木造阿弥陀如来坐像
像高四十五センチメートル。本像は福島市下鳥渡陽泉寺の国指定重要文化財釈迦如来の胎内銘にもある可真竜江の閉基、善性寺の本尊である。元来は二段、三段に結い上げた高い宝髪がついたのであろう。妙観察智印を結ぶ小型の宝冠阿弥陀である。
寄木造り、漆箔、玉眼嵌入の像で頭部は首柄で体部に差込る。切長の眼、引きしまった口唇、膝にかかる彫りの深い複雑な衣文等の処理に中国宋風の影響を受けたいわゆる乗円仏共通の造形がみられ貴重である。
工芸
刺繍阿弥陀三尊来迎掛幅
所在地 相馬郡鹿島町南屋形字前