教育福島0047号(1979年(S54)12月)-025page
党屋における神饅の調理と進献、ならびに神迎えからお鉢米等の神事一切および、これに付随する芸能にいたるまでの祭典のすべては、党屋によって規則正しく執り行われており、この党屋制度は慶長以降ほとんど損われることなく、すこぶる厳格に古式に則って行われてきたことは、記録に徴しても明瞭であり、県下にも比類のない貴重なものと言える。
八槻都々古別神社の神楽
所在地 東白川郡棚倉町大字八槻字大宮
保護団体 八槻都々古別神社楽人会
八槻都々古別神社の神楽
「七座の神楽」と「太々神楽」がある。「七座の神楽」は旧暦十一月一日の霜月祭に、拝殿で行われ、曲目は、巫女舞、幣舞、弓舞、白杖、散米舞、剣舞、神扇、獅子舞である。ただし、神扇と散米舞はつづけて舞って一座としている。
これは、出雲佐陀大社の七座の神事の採物舞の系統を引き、その面影をよく残している。
「太々神楽」は三十六座あり、以前は講中の奉納、あるいは他社からの招請などによって演ぜられてきた。それぞれの舞は型が異っていて、くふうがあり、この方部のもと神主たちが演じていた太々神楽の源はここにあったのではないかと思われる。
両者とも、もとの社家たちが、代々世襲で携ってきていて、その伝承も確かである。
奉納神事舞の古風を残したものとして、文化財として高い価値が認められる。
飯舘の田植踊
所在地 相馬郡飯舘村
保護団体 飯舘の田植踊保存会連合会
飯舘の田植踊
本村の比曽、蕨平、長泥、大久保、宮中、松塚、伊丹沢、深谷、二枚橋、小宮の十か所には、それぞれ田植踊が伝えられていて、一月十四日から十五日にかけて、各自の集落を戸ごとにめぐって行われている。
踊り手は集落によって多少の違いがあるが、道化一名から二名、奴二名から五名、早乙女四名から六名、ひょっとことおかめが各一名である。
曲目もやはり集落によって違いがあり、稲作の過程を少ないところで七曲多いところで十一曲を順に踊っていく。
これらの踊りは、田楽躍の様式をとり入れた郷土色豊かなもので、それぞれ変化に富み芸能化の進んだ相馬地方の田植踊の特色をよくそなえていて、芸能史上価値の高いものである。
○史跡
木幡山経塚群
所在地 東和町木幡字治家七〇番地の四
所有者 隠津島神社
木幡山経塚群
木幡山は神仏習合の山として古くから栄えた信仰の山で、全山老杉におおわれた円錘形の山頂に蔵王宮(現石宮)があって、山頂の屋根には東西線状に経塚六基がならび、西端に花岡片磨岩の立石がある。経塚は経二〜四メートル、比較的小型の積石式で、円形、方形、長方形を呈し、高さは一メートル前後で中央に石室があり、盗難にあって破壊されたものがある。四基は蓋石を失っているが原形を保ち、構造には各様がある。当経塚群から出土したと伝える奈良国立博物館保管の銅製経筒及び今回の出土品によると、藤原時代十二世紀の秀れた経塚であることは明らかである。