教育福島0047号(1979年(S54)12月)-036page
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さはこ祭を終えて
斎藤公二
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▽ なによりも雨が心配だった。苦心の羽織が紙製なのだ。クラスの生徒から「先生もいっしょに出て下さい。」と声をかけられ、気軽に応じたものの雨となれば体育館使用ということになりやりにくい。私は連中のあたたかーい配慮で、若き天才剣士沖田総司。近藤勇は高体連柔道で重量級優勝のA男。堂々たる局長だ。
第一日 十月十三日(土)くもり
午前 校内発表(体育館)
午後 仮装行列(湯本町内)
「初めは張りきっていた“新撰組”だったが、履き慣れないゲタのおかげで最後の方はだらけてしまった。仮装とは、その役になりきることがたいせつだと痛感したが、なにも賞を取れなかったことが残念だった。」(隊員のB女)参加二十二チームで“帰ってきた常磐炭鉱”が最優秀賞。二時間町中を練り歩いて、総司は足がつっぱりそうになった。
▽ 昨夜は腰が痛かったのに、今朝起きてみると足裏にマメ。ゲタがキイタのだ。前回の怨みを晴らすかのような一点の雲もない公開日和。クラス参加の準備をするみんなの顔が生き生きとして明るい。
第二日 十四日一日一日本晴れ
一般公開(参加三十九団体)
「いよいよ公開日。俺のドラキュラのメーキャップが始まった。クラスの女どもがよってたかって、ひとの顔をいじくる。俺の顔はオモチャじゃない。−−いよいよ本番。何分間もじっと黙って立っていなければならない。非常に疲れたが、大成功だったようだ。」(入れ歯がよく似合ったC男)二度目の公演で、用意した四百枚のアンケート用紙がなくなった。急ぎ職員室で九百枚の増刷。この演し物を企画したD女が「すごい人気なんです。」と意気込んでいる。いわゆるろう人形をまねて二十分不動の姿勢で立ち、十分休みを繰り返す。ルパン三世・張本選手・フランケンシュタイン……見る者には楽しいが、扮した者はただひたすら“忍”。午後二時、あと一時間残してタモリ教授が脂汗を流しはじめた。前屈みのポーズにはいってしまったのだ。健康第一、打ち切りにする。千三百人余を動員して、クラス発表“人形の家”は幕となった。
▽ 第三日 十五日(月)晴れ
午前 演劇鑑賞「走れメロス」
「いやー見ましたよ“走れメロス”。あの汗びっしょりで走る姿がなんともいえず魅力的だった。文化祭のいい思い出になりました。」(飛び散る汗を受けたE女)メロスは体育館をひた走る。無二の友のために、何周も何周も。
▽ 「自分の恥や外聞を捨てることによって、何でもできるということがわかった。自分たちで事をなし遂げる努力や協力ほどすばらしいものはなく、さらにその成果が人に喜ばれることほど快いものはない。」(背景をつくり、アンケートを集めたH男)かくてお祭りは終わった。数に制限があったため仮装・一般公開と二日とも参加できたクラスは多くない。私のクラスは幸運だった。四十六名全員がいずれかのパートに携わることができたからである。確かに生徒たちはまるでちがっていた。授業中おとなしいことも事実だが、この文化祭に、こうした力を発揮したのも事実である。どちらがどうというより、どちらの姿もほんとうなのだろう。
直後、私は文化祭の反省文を全員に求めた。それらは、三年に一度の文化祭という機会と場をとおして、クラスの仲間とともに考え行動し、その中で自分自身を見つめ発見できたことを、みずからのことばで語っている。
(県立湯本高等学校教諭)
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新撰組は新鮮組
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