教育福島0047号(1979年(S54)12月)-037page

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おとなの通信教育生

 

小野徹

 

ないまま職員室にやって来た。聞けば、国語の先生に願いごとがあるという。

 

私がまだF女子高校在任中の冬の午後のことである。作業服のベルトになにやら道具類をぶらさげた一人の青年が、スリッパもはかないまま職員室にやって来た。聞けば、国語の先生に願いごとがあるという。

実はこの青年は福島中央高の通信教育生で、項羽と劉邦の巻の漢文のレポートを手にしていた。毎日の重労働に追われ、レポート提出の期限に迫られたこの勤労高校生は、ついに思い余って、きっと親切にちがいない女学校の先生をたよって助っ人を願いに来たのである。E先生の指導により、この難解なレポートを完成できた青年は、感謝と安塔の表情を浮かべながら帰って行った。

それから間もなく、私は福島中央高通信制課程に転ずることになった。十八年間、青年期と壮年期にわたって情熱を注いできた学校から、一片の辞令を手にして去るとは淋しかったが、あの時の勤労高校生の誠実な眼差しを思い浮かべると、なんとなく新しい勇気が湧いてくるのを感じた。

通信教育生の大部分は、みずから学ぶ意志を示したものであるから、勉学意欲に燃えている。職業はさまざま、平均年齢三十一歳、十代後半から六十代後半にいたるまでの実に多様な構成をなしてはいる。がしかし、共通していえることは「学ぶことに対する真摯な態度と意欲」である。無論、職業人であり、父であり、夫であり、そして高校生でもある日常を消化するのは容易なことではない。四年間で卒業できる生徒は五十パーセント程度である。今年度の卒業予定生で私の担当クラスには、昭和四十四年度入学の三児の母がいる。嫁入り先の宮城県柴田郡の在方からの苦しいスクーリングに耐え抜いて、やっと十一年目の来春に、晴れて卒業を迎えるのである。

二十年以上にわたって、大学進学のための受験指導に明け暮れてきた私は、今ここに、人生に責任を持って生き抜く「生活人」としての生徒を前にして、なにやらほんものの教育に遭遇したように感じつつある。なによりもここには、「学ぶことの喜び」というようなものがあふれているのだ。受験勉強には「解くことの楽しさ」はあっても「学ぶことの喜び」には乏しかった。なにがほんものの教育かということは、漠として私には明確にっかめないのだが、少なくともこの「学ぶことの喜び」にあふれた場は−哲学者や教育学者の言はともかく−ほんものの教育と無関係のものではないと信ずる。

数日前のことだが、本校で文化祭が開かれた。最後を飾る後夜祭の会場警備は若い通信教育生数人が担当した。夕闇が迫ると、予想通り、会場荒しの赤毛族やチョビヒゲ族の青年が車で乗りつけはじめた。実は前の文化祭の折りに、このような青年たちの暴走で苦い思いをさせられた経験がある。

彼等をさとすように説得する通信生と、それを口ぎたなく罵倒し、女子生徒に卑狸な言葉を浴せて引き返す彼等を見つめながら、私は同世代・同年齢の二組の青年のあまりにも大きなちがいに驚き、ため息をつくほかはなかった。

目的を持って学ぶ青年と、目的なしに青春を浪費する青年のちがいは、実感として、まるで「おとなとこども」だ。後夜祭も楽しく終わり、任を果たした警備隊は、遅くなった控室の一隅で満足げにミカンを食べている。そこにはしたたかな充実感があった。

私はふとあの暴走青年たちがかわいそうになった。そして、不確実ながら現代教育の破れ目をそこにかい間みたように思い、また二、三日眠りの浅い夜を過ごすことになってしまった。

(県立福島中央高等学校教諭)

 

合宿スクーリングでの討論会

合宿スクーリングでの討論会

 

 

 


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