教育福島0048号(1980年(S55)01月)-024page
さまよいの中から
−−「仕事」か、「作業」か−−
小荒井 昌子
師走を迎え、気ぜわしくなったこのごろ、冷気を感じながら出勤する。校門をくぐると、寒さをものともしない子供たちが、校庭にいっぱい−−トラックを走り回る子、ドッジボールに興ずる子−−そして いっせいに「先生、おはようございます」の声がはじける。思わず、縮まりがちな心も、大きく広がっていくようだ。数えてみると、教壇に立って以来、もう十余年、このあいさつを受けてきた。月日の流れの早いのに、まさに驚かされる。そして、この間、“なにを”私はしてきたのだろう……と。
三年生の教室に通じる階段を上ると頂に雪をうっすらと冠した磐梯山が目に入る。一瞬、自然の偉大な雄姿に心奪われ、見とれてしまう。まもなく里も雪におおわれ、目をあいていることもできないほどの吹雪の日がやってくるだろう。
教室の戸を開けると、元気な、幼い魂が、私を待っている。持ち上がりの子供たちだ、三十五人の性格も、家庭環境も、健康状態も、胸中にある。
いつもの朝の時間の後、授業に入る。
ふと思う。私は、この子供たちになにを教えているのだろうか−−。この子供たちにとって、一生に一度しかない三年生の日々だ。その毎日が、充実したものになっているのだろうか。
チャイムの合図に合わせ、一日のプログラムが終わる。一日の反省をする。
「先生、さようなら」
全身であいさつをして、教室をとび出す子供たち。
新聞をにぎわしているような問題行動をおこす子もいない。とりわけ乱暴な子もいない。宿題も大体全員やってくる。給食も、ようやく好ききらいなく食べられるようになった。しかし、これで、満足してよいのだろうか。なにかが、足りない。こんな思いになる。
足りないものはなにか−−それは、“驚き”といおうか、“新鮮な発見”ともいい得るものか、とにかく、はるかな日々には、味わったことがあるのだ。
あの新任の日々、全くなにもわからずとまどいながら、接した子供たち。それは、なにもかも新しく、つたないものであった。後手、後手とまわって悩んだ生活指導。学習意欲も、実態もつかめず、指導書と首っぴきで教壇に立った学習指導。けれど、失敗だらけのあの日々は、涙した夜のせいか、今となっては、なつかしい思い出として、私の心に残っている。あの日の子らの笑顔とともに。
年月を重ねた今はどうか−−。そうだ、教育は、作業ではない。一日を、一年を、無事に送らせることだけではない。朝のチャイムから放課後まで、時間の流れに子供たちを乗せ、はみ出さないよう、遅れないよう、ほめたり叱ったりするだけではないのだ。これでは、小手先の作業じゃないか−−。画一的に、はめこもうとしているのではないだろうか……。さまざまな思いが、胸中をかけめぐる。
初心にかえること。あの、きらきらと光る感動を、とりもどさなければ、ならない。この純粋な感動こそが、私の選んだ一生の「仕事」なのだ。
この仕事は、何年の月日を経ようが、所が変わろうが、教育内容の変革にあおうが、子供との、人間まるごとのふれ合いの中で得られることに変わりはない。教師が、単なる作業をした時でなく、全力をぶつけて「仕事」をした時のみ味わえる充実感なのだ。
八十年代の教育の出発に際して初心にかえり、新たな教育観にたって「仕事」としての教育活動に一歩でも近づきたいと思っている昨今である。
(猪苗代町立千里小学校教諭)
この時は二度とないのだ