教育福島0050号(1980年(S55)04月)-037page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

子供の読書週間に因んで

-マンガ時代の読書-

 

県立図書館館外奉仕課長

赤座信道

 

図書館コーナー

 

図書館コーナー

 

「子供によい本を読ませよう」という主旨で設けられた〃子供の読書週間″も今年は二十二回を迎えることになった。子供の読書とテレビの問題についていろいろ論議がなされ、子供の読書を阻害するのはテレビであると、一方的にテレビを敵視する風潮があったが、遂に抗しきれず、親子同時視聴番組選択を考える等によって、結局はテレビを敵視するのではなく、読書とテレビを両立させることによって読書の習慣を身につけさせるということで結論らしいものを得たのが昭和四十年代後半のことであった。

ところが五十年代になると、それがマンガとのかかわりあいになってきている。この数年間、出版界の実体を計量できる数字でみるかぎり、マンガの活況が続いていることは疑問の余地がない。出版市場で「コミック」とよばれる単行本マンガの初版部数のすさまじさは、他のジャンルでは考えられない数字であり、単行本一点の初版部数が百万部に達している例はいくつもあるということである。この数字が示している冷厳な事実は、いま私どもは、子供も、大人もかつてない質量のマンガの洪水のただなかに暮していることである。

親子読書運動はこうした〃マンガヘの防衛策″として興隆したものであろうが、日本児童図書出版協会が行った各地の地域文庫のアンケート調査によると、マンガをおいている文庫の方が十一対十の割り合いで一つ多い、ただその量は少なく各文庫とも一パーセント前後である。その内容や作家も「はだしのゲン」「サザエさん」「いじわるばあさん」、手塚治虫、ちばてつや、白戸三平等、精選されており、おいている理由としても、マンガがこれほどまでに子供の生活に根を張ったいま、マンガを敵視することは現代から目をそらすことになるともいっている。一方、おいていない方の理由は、子供はどんな手段をとってもマンガを見ているし、文庫はよい本との出会いを目的としているので置かないとしながらも関心度に変わりはない。それはマンガに対する一言という問に対しては、おいているいないにかかわらず「マンガにはマンガのよさがあると思う。同じように活字文化には活字文化のよさがある。それは質がちがっていて同じ線上での比較はできない」

「マンガを全て否定はしない。何かで疲れた時にお茶でも飲むような気持ちでマンガを手にできれば理想的…」

「マンガも表現方法の一つだろうがあまりにも迎合的でお粗末なもの、安易なものが多く、心ある子供はそれを見抜いている」

「マンガは描線に表現文法を持った映像文化、なかには低俗な作品もあるが、この善し悪しはこれらを読んで社会人になった人たちが評価をきめるだろう。ただ、テレビとマンガしか見ない子は、思考力がなく、ダメな人間になりそうに思われる…」

等、文庫の母親たちの実感は子供とマンガの最前線の識者の考えと見ることができるであろうし、ここから子供の生活の中でマンガをどうとらえていくかが大切な問題になってきているように思われる。それにはマンガアレルギーを示すだけではなく、視覚文化という側面から、マンガと読書のかかわりあいを追求していくべきであり、マンガから子供を守るといった姿勢から脱して優れた作品を見いだし、マンガの種類や歴史を子供に話してやるなど、マンガ時代の読書をまず親が身につけることではないかと思われる。

子供もの文化研究所の石子順氏は、ブックリスト「新・漫画選182」を作成するに当たって、そのものさしとして次の五つをあげている。

1、絵画性…マンガは美術の樹から発達した技であり、視覚文化である以上、その絵がうまいかどうか。

2、テーマ性…長い作品となると数冊にもなるのがあるが、一体何を読者に訴えるのか、テーマがあるかどうか。

3、ストーリー性…物語の展開がどうか、おもしろいかどうか。

4、感動性…生命の重み、人間の尊さを風刺や笑いをふくみながら、人間のあり方を問いかける、感動とは自分の生き方とも重ねあわせて見つめるもの。

5、人間性…人間がどのように描かれているか。他人を傷つけたりする絵もあるが、そうした人間を人間らしく描かない作品についての批判力を持たせたい。

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。