教育福島0051号(1980年(S55)06月)-007page

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更に、それぞれの障害の特性の問題もからみ、教師の共通理解をどうするかの問題、併設施設、病院側との協調に関する問題、学部間の指導体制の問題等が山積しているのが実情である。しかし、教師一人一人の努力により、一歩一歩着実に効果があがっていることは、まことに喜ばしいことである。

 

前年度の「教育福島」(六月号)に「養護学校における生徒指導」として「心身障害児の生徒指導の問題」(コミュニケーションの問題、自主性・自律性の問題、移動の問題、指導の一貫性の問題)と、「指導体制の充実」(指導体制の整備、共通理解の場と機会、指導資料の整備と活用)の二点について記述したので、今回は教師の指導について触れてみたい。

 

1 小・中あるいは幼・小・中・高の複数学部からなる盲、肇、養護学校では、幼・小とか、幼・小・中・高の一貫教育の中で、児童生徒に、どの時期に、どのような方法で、指導を行い、どんな子供を育てようとするのかをより具体的に計画をたてる必要があるだろう。

「具体的に実践の場で」とか、「生活実践を通して」ということがよくいわれる。授業中に(あるいは、具体的な指導場面に出あらたときに)その授業の途中で、児童生徒とじっくり話し合うことも必要であろうし、その場その場で、その子供に応じた方法で指導していかなければならないだろう。このことが、一人一人の「心性を育てていくこと」にも、つながっていくからである。

 

2 普段の教師の地道な努力をぬきにして、児童生徒の問題を解決していくことは困難である。子供が小さいからとか、大したことではないと判断して、指導面で適切さを欠く場合が起こりがちである。しかし、このようなことが積み重なっていくと、児童が成長するにつれて、指導がますますやりにくくなる傾向が助長されてしまう。このような望ましくない行動(反社会的問題行動、非社会的問題行動)の芽は、教師がよく判断して、早いうちに指導していかなければならないものである。

 

3 「児童生徒の基本的生活態度の向上を目ざす」ということも大事である。この場合、どのように方法で指導していくかということとともに、個別的に、しかも、継続的に反復指導をして、児童生徒の習慣化を図っていくことが重要である。きまりや約束ごとの意味がわかり、主体的に行動できる児童生徒を育てるためには、きめ細かな指導を毎日根気強く進めていく必要がある。

″挨拶″を例にとってみる。児童生徒、特に、年齢の大きい生徒によくみられる自分の学級担任には挨拶をするが、その他の先生には、あまり挨拶をしないというケースがある。このようなケースを分析してみて、小さいときからの意識的な指導の積み重ねがいかに大切であるかが痛感される。

児童生徒だけに指導を行うだけでなく、教師のうしろ姿が児童生徒に範を示す指導のあり方の重要さという意味からも、教師が日常生活面で、注意しなければならない点がいくつかあることを忘れてはならない。

 

4 一日の生活は、児童生徒の健康観察から始まる。朝、児童生徒が登校したときの「おはよう」とか、下校するときの「さようなら」とか、児童生徒に廊下で会ったら、声をかけてやる等の、教師が温かい目を常に児童生徒に向けてやることが、最も大切である。

 

5 生徒指導上で問題の多い児童生徒の中には、親の態度や物の考え方に難点のある場合が多くみられる。社会的ルールの理解にしても、友人への思いやりにしても、親が範を示してこそ培われるものである。したがって、親を男気づけ、しっかりした障害児観を持った親になるよう十分に指導助言しなければならない。

 

6 学校では、毎年三学期末に、「生徒指導」についての反省会を持つことが多い。反省を生かし、よりよい指導のあり方を工夫し、着実に実践に結びつけたいものである。

また、生徒指導はともすれば、事が起こったあとの指導に終始しがちである。手なおし的指導から一歩進んで、予防的指導に当たりたいものである。

 

生徒指導は、日常生活のしつけのみの指導にとどまることなく、すべての教育活動を通して行われなければならないものである。また、個人や集団の理解に基づいた自己実現への援助であるという共通理解に立って進めるものである。しかし、こうすれば最良の方法であるという決め手がない。児童生徒は、能力や性格、育った環境によって、思考力も判断力も異なり、極めて多様性に富んでいる。したがって、その子供に最良な指導方法を常に見つけるよう努力する必要がある。

また、盲、聾、養護学校の生徒指導では、子供たちが障害を持っていることは当然のことであり、「障害があるのだから、このような行動は許される」とか、「この程度できればいいのではないか」と考えたら、決して適切なものとはならない。

 

教師は、児童生徒の一つ一つの事例に即して、学部会や職員会議の席でも、職員室で茶をすすりながらでも、丹念に話し合いを重ねて児童生徒の心情を理解し、しかも厳しく指導する以外に手段はないのではなかろうか。児

 

 

 


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