教育福島0051号(1980年(S55)06月)-008page
童生徒の心情を理解するといっても、自分の心を相手に正確に伝えることが困難な児童生徒である。そこには、おのずと限度がある。しかし、丹念にそれを追求していけば、かなりの理解が深められ、そのような構えが、温かい人間関係をつくりあげ、ゆがみのない心を育ててくれるものである。しかも、これは教科指導とも無関係ではない。「難しいから」とか、「まだ小さいから」とか、「体が不自由だから」等といって、生徒指導に手加減を加えたり、放棄してしまったりすることがあってはならないだろう。
次に、三つの学校について、生徒指導の実際をあげてみる。
県立聾学校の事例では、教師と生徒の日常の触れ合いの中で、一人一人の児童生徒の思考や感情など、子供の内的状態の把握に努め、生徒理解を一層充実させて、生徒指導に当たっている。
県立郡山養護学校では、教師と児童生徒及び児童生徒相互の人間関係を重視し、温かく信頼に満ちた雰囲気の醸成に努め、また、健常児との交流により、相互理解と交友関係の樹立を図っている。
県立富岡養護学校は、創立三年目の養護学校であるが、児童生徒の実態に即し計画的に、継続的に観察指導を進めている。そして、観察記録を重視し児童生徒の行動の把握に努めている。
聾学校における指導の一事例
県立聾学校教諭 水井保彦
一 はじめに
本校は、聴覚に障害を持つ児童生徒が学ぶ学校なので、生徒指導上、他の学校には見られない独特の問題点が数多く見られる。また、児童生徒の大半は、全県下から集まって来ており、それらの児童生徒は、寄宿舎あるいは、光風学園から通学して来ている。そのため、子供たちの問題行動の背景にあるものは、単に学校だけでなく、寄宿舎や学園における生活によって形成されているものもある。ここに、本校の生徒指導の難しさがあるように思われる。
二 生徒の実態
本校の児童生徒の生活態度を見ていると、「聴覚障害が直接の原因となっているもの」と、「それによって起こる二次的なもの。例えば、幼稚な行動や、他人への思いやりのなさ」というような人格形成上の偏りがみられる。
(1)常識はずれの行動が多い
ドアの開閉や、廊下の歩行のときなど、大きな音をたてても平気でいる。
(2)自己中心的である
掃除のときなど、自分のところだけをやって、あとは手伝わない。また、廊下で「紙くずを拾って」と、声をかけても、「僕が捨てたんじゃない」と答えることが多くみられる。
(3)自己抑制ができにくい
人の物を隠す。欲しい物があると、他人のものでも平気で使っている。反面、自尊心が少しでも傷つけられると、反発心が異常に強い。
(4)無関心をよそおう
学活の話し合いのときなど、「関係ない」、「どちらでもかまわない」という発言がさかんに出される。自分の問題でないことについては、まったく無関心であることがわかる。
三 個人の悩みを集団の中で、どう解決していったか
生徒指導の目標の一つとして、「集団的、個人的な不適応状態を解消させ集団生活の真の喜びを味わわせるようにする」ことを掲げているが、この線上に浮かびあがったK子(中学部)の問題を取りあげてみる。
(1)問題の発端
K子は、小学部にいたころは、明るく素直であり、多くの教師にも可愛がられていた子供であったが、中学部に入って、一、二か月を過ぎたころからもの静かで寂しそうな姿を見せることが多くなってきた。
六月ごろの日記から、「家に帰ってもつまらない」という文が、しばしば見られるようになって、その後、帰省中の家出となって表れた。(一晩中歩きまわったあと、朝方、自宅へ帰るところを保護された。)
(2)指導の経過
1)個人面接から
「家がつまらないし、学園もつまらない」、「家でも、学園でも、よく叱られる」、「困ったことがあっても、話し合える友人がいない」、「女の友達よりも、男の友達がいい」、「男の友達と話をしていると、叱られるし、変な目で見られる」等の話からは、十分な原因というものはつかめなかった。しかし、面接及び家庭、学園との話し合いを続け、学級、学校での独人(ひとり)ぼちという環境から脱げ出させるためには、温かい集団の雰囲気の中で自分というものを十分に見つめさせていくことが重要であると考えた。
生徒会-新入生対面式-