教育福島0051号(1980年(S55)06月)-024page

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随想

悪い子供はいない

 

梅津充子

 

梅津充子

 

私の愛読書の中に倉橋惣三選集がある。その一節に--子供が帰った後、その日の保育が済んで、まずほっとするのはひと時。大切なのはそれからである。子供と一緒にいる間は、自分のしていることを反省したり、考えたりする暇はない。ただ一心不乱。子供が帰った後で、朝からのいろいろなことが思いかえされる。我ながらはっと顔の赤くなることもある。しまったと急に冷汗の流れ出ることもある。ああすまないことをしたとその子の顔が見えてくることもある。大切なのはこの時である。この反省を重ねている人だけが真の保育者になれる。--いつも、このことばによって勇気づけられ、今まで私が信条としてきたものである。

今から十年前、新米教師として大きな希望と情熱の灯をともし中島幼稚園に着任したが、この十年の間に幼児教育の重要さを身にしみて感じるとともに、果たして今まで手がけてきた数多い子供たちに本当の血となり肉となっただろうかと私ながら懸念されるのである。

今は中学三年生になったK、両親の愛に恵まれず施設から施設に移され、四歳になってやっと母親のもとに連れもどされたが、近所でも評判の乱暴者で幼稚園に入園しても、なにか事件がおきると近所の人たちは「また、あの子ね」とKを指し、それを聞いた子供たちも「また、Kちゃんだ」と決めてしまう‥そんな子だった。他の子だったら、そう決めつけられてつらいと思うが、それが事実であれ、誤解であれ、不思議なぐらい堂々と受けてたっているのである。

四か月くらいたって「なんでもいいからもってこい!」とクラスの子に命令し、不良じみた口調で親分ぶっているK、私はその荒っぽさをきらうより、なににもとらわれないその根性を見直して保育面にとり入れ、よい方向に伸ばそうと考えたが、生活態度が荒く、他の子供たちは仲間に入れようとはしなかった。

 

心のふれあいの場を大切に

 

心のふれあいの場を大切に

 

そんなある日、Kは寒いのにもかかわらず手をまっかにして飼育動物の世話をやっていた。「ぼくら、そんなきたないところいじるのいやだよ」としりごみしている友達に「みんないやなら、おれ一人で、きれいにするからいいよ。きたない小屋じゃうさぎがかわいそうだよ」といいながら一生懸命お掃除をつづけている。

今までにない彼のやさしい姿にうたれて、今まで仲良く遊ぶことのなかったものまでが一緒になって、お掃除をやりだした。

子供たちは、お互いに理解しあい、目に見えない糸で結ばれ、教師を頼らず自分たちの力で飛びたとうとしている。このような子供の姿を見ていると、日ごろ子供を信じ心のふれあいを大切にしてきたことが、かくも子供たちに通じたのかと思うと何故か胸があつくなってくる。そして限りない子供たちへの愛情が湧き、明日への活力となっていく。今まで友達に対して攻撃的だった彼もN君やT君によって心をひらいた。園生活の中で、ちょっとしたことでも友達とともに協力し、話し合い、助け合うことのすばらしさを知ったK、よちよち歩きのあかん坊のように、一歩一歩成長していった。

このように、ある一つのきっかけがKをたちなおらせたことを考えると教育で大切なものは、教育愛とその過程であり、私達は素直な心と眼で子供たちを見つめ、そしてかわいい子供たちのために、常にいきいきとした態度で接し、真の保育とはなにかを考えていきたいと思っている。

(中島村立中島幼稚園主任教諭)

 

 

 


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