教育福島0051号(1980年(S55)06月)-025page
随想
読み聞かせを通して
荒川サト
春風とともに明るく希望に満ちた一年生がやってきた。黄色い帽子の一年生が入学してくると、学校全体に活気がでてくるのは例年のことだが、今年の一年生は騒々しさまで運んできてくれたようだ。めまぐるしい世相の反映か、二年前の一年生と比べてみても大変落ち着きがない。入学当初は緊張しているのが普通なのに、彼らには緊張感など少しもみえない。絶えず手足や口を動かしている。集中力がないのは当然だけど、あまりにもせわしく動きまわる姿にあきれながら、締めるところは締め、発散させるところは十分に発散させないと怪我ばかりしている一年生になりかねないと思った。
読み書きや計算などはこれが一年生かと驚くほど。知的な発達は優れているのに、返事やあいさつのできない子、ささいなことにすぐ泣く子、手で物を食べる子、正しい姿勢の取れない子などが多いのはなぜだろう。注意深く相手の話が聞けないようでは、いくら知的に発達してても、学年が進むにつれて学習についていけず取り残される子がでてくるのではないだろうかと心配になる。勉強に遅れたら大変だと気にするあまりに、本来、家庭教育でなすべきことをおろそかにして、学校教育でなすべきことを熱心に教え込んだ結果が裏目に出てしまったとも考えられる。
また、この子供たちはあまりにも現実的で、国語の学習では夢がなく味気ない応答ばかりで悲しくなる。
「木が空を飛ぶなんてうそだよ」「こんな風船で飛び上がるはずないよ、エネルギーがないとだめなんだ」とませたことをいう子供たち。
だが、彼らは無味乾燥でせわしいだけが取り柄の子供たちではないはずである。そこで、私は、彼らの心の奥底にひそむ豊かな情感を目ざめさせ、潤いのあるはつらつとした子供たちにするために童話の読み聞かせを始めた。
毎日、わずかな時間を見つけては読み聞かせるようにしてまだ日も浅いが指人形やペープサートなど小道具を使ったりすると、短い時間ならおしゃべりもせずじっと聞ける子が増えてきた。大声で注意するよりも、指人形を使ったりして語り聞かせるほうがよく理解してくれる。
きちんとした態度で
「ねえ、トラちゃんの怪我はなおったの。早くなおるといいね」と物語のトラの怪我を心配して寄ってくる子供たちを見て、「ああ、根はやさしい子だった」と安堵したのもつかの間、廊下を大声で叫びながら走っていく子、邪魔な子を突き飛ばしながら駆け抜ける子供たち。朝から何度も「あせらず根気よく」と自分にいい聞かせながら子供たちをみつめる。
ゆとりの時間のおかげで休み時間ものびたので、室内を走り回る子供たちを集めては、いろいろな話をしてやると一人一人と集まってきて目を輝かせて聴きいっている。
「○○の出てくるこわい話をして」「ライオンがガオーと出てくるの」などという注文に応じて筋を発展させてやると、いろいろな話のつぎ合わせになったりして恥ずかしくなるが、子供たちは大喜び、物語の主人公になったような気持ちで、「やったあ」とか、「まけるもんか」とか叫び出す。
まだまだ落ち着きがなくせわしい子供たちだが、物語に一喜一憂して体をぐっとのり出して聴き入っている顔は、やはりあどけない一年生の顔であった。
静かな放課後のひととき、彼らの喜ぶ顔を想像しながら、明日はなんの話にしようかと童話のタネを補充したり、指人形を準備したりするのが楽しみになってきたこのごろである。
(いわき市立四倉小学校教諭)