教育福島0051号(1980年(S55)06月)-026page
随想
辺地校での三年目
竹野文博
都市部の大規模枝から、昨年山間辺地の本校に赴任して、校務の繁雑さに戸惑うとともに、生徒の気質がのみこめず毎日の授業にも苦労し、二十余年間教職にたずさわりながら、自分の力のいたらなさを改めて痛感した。
本校は学級数三、生徒数四十、教員数八の小規模校である。教員数には恵まれているものの、教務・現職教育・視聴覚教育・文書の収受と一人でいくつもの仕事を受け持ち、目まぐるしいほどの忙しさに明け暮れた一年間であった。
今年二年目を迎え、ようやく担当した仕事について年間の見通しがたち、時おり二十余年の教職経験をふりかえってみることがある。数日前のことである。校内でPTA新聞の名まえが話題になったことから、ふと思い出したことがある。
十年前都市部の中学校に赴任して間もないころのことである。学年新聞の名まえを募集したところ父兄の三浦さんから、新聞名とともに次のような添え書きをした手紙を頂いたことを、今でもはっきりと覚えている。
「四月に遠く○○中へご転任の先生から、こちらまで心楽しくなるご挨拶状を頂きました。『盆地なす雪のまほらに・・・』と一首したためてあり、そのあとに新任地と新しい生徒たちへの愛情と期待に満ちたことばが綴られてありました。市内からあんな山の中へとかと思った心を恥じました。
つねづね先生がたが、現在自分が勤務している場所を『まほら』すなわち、もっともすぐれた良い所と考えて、打ち込んで下さっていることを、実感として強く印象づけられたからです。・・・・おりおり聞かれる『○○中はいいなあ』という先生の、生徒の、父兄のそれぞれの思いをこめて、またいつくしみ努力することを願って『まほらま』と名づけようと思いました。最後のまは、しゃれた感じをだすために私が勝手に付け加えました。」という手紙の内容である。
当時さっそく学年新聞名として採用したことはもちろんのこと。他校へ転任するまでの六年間、精一杯勤務できたのも、先輩教師が詠んだ「盆地なす雪のまほらに・・・」と心暖まる三浦さんの手紙であった。
自然に恵まれて
その後、わずか数年の間に転任し、すっかり忘れていたことが、ふとした機会に思い起し、改めて深く反省させられるのである。
家族と離れ単身赴任し、週末あわただしく自宅と下宿先を往復する生活。生徒とのふれあいも、地域との接触も以前とは比較にならないほど少ない。本校を「まほら」と思ったことが、あっただろうかと。
「まほら」すなわちもっともすぐれた良い所として、地域や生徒を見なおすと、しぜんに「よさ」が見えてくるものである。四季おりおり変化する周囲の自然の美しさはいいようがない。この自然に抱かれ育った生徒たちは、実に素朴である。学級の係活動や清掃にも真剣に取り組む。昨年夏の宿泊訓練では全員がすばらしい寸劇を披露し、私たちを驚嘆させた。秋の遠足では、三年生の男子全員が腰まで水につかりながら石を積み上げ、橋をつくり女生徒や下級生を渡してくれた。彼らのたくましい行動力は、都市部の中学校では想像もできないほどであるが、欠点もある。覚えたり考えたりする知的な学習を敬遠する傾向が強いのも事実である。
今年二人の新卒教師を仲間に迎え、中堅教師としての役割を果たすために本校を「まほら」と思い決意を新たにして進んで行きたいと思う。
(北塩原村立裏磐梯中学校教諭)