教育福島0051号(1980年(S55)06月)-028page
随想
小さな村の大きなできごと
大桃博
(一筋の道)
落成したばかりの武道館が伊南中学校体育館と並んで事務室の窓越しにながめられる。"だれが見ても武道館だとひと目でわかるように"との配慮から城郭的な趣をあしらった白い壁が、黒い屋根に調和して豪華さを一層引き立てているようだ。
村に剣道が始まったのはさだかでないが、お蔵入りの生地柄から武芸修練道場があったと伝えられ、今も「道城」の地名がある。また天保七年に五十嵐啓次が愛用し、郷土剣道の振興に寄与されたという手作りの防具が残されていることや、二刀流の使い手湯田芳鉄の剣道指導の話など、明治から大正を経て今日まで多くの剣士が輩出し村の伝統を築きあげてきた話をよく耳にする。
近年、村の剣道がクローズアップされてきた中に、かってない実績を残して今春伊南中を卒業していった五名の女子剣士たちが、一筋にうちこんだ六年間の過程が静かに思い返される。
(S校長と握りめし)
あれは五十年三月八日だったと思うが会議での帰途、積雪丈余の駒止峠を下ってチェーンをはずしていた私のすぐ近くに、一台の自動車が止まった。私と同じ目的のためのようだった。ふり向くとH校のS校長だった。久しぶりの出会いで今昔の話がはずみ、「やがては伊南にきて剣道を」などと話して別れた。ところが四月に伊南小に赴任されたのだから、その奇遇に驚いた。S校長が、「私は伊南の伝統を育てる」と口ぐせに話しておられたことを思い出す。先生はさっそく朝に夕に太鼓を打ち鳴らした。児童たちの竹刀の音が体育館に響いた。親は子供たちに三食分の握り飯を持たせて励ました。小学校にも剣道時代が到来し、その成果を各大会で発揮するようになり、親も子供も先生も、更に次の機会を目ざして闘志を湧かすのだった。
四年生で初めて下郷町湯の上での「温泉まつり剣道大会」に出場し、腕を叩かれて泣いて帰ってきたという五名の女子たちは、立派な剣士となり伊南小を卒業していった。S校長も昨春の異動で「忘れられぬ子供たちだった」と当時を語りながら去られた。
村民の栄誉をになって
(女子剣道部誕生)
中学校の体育部活動に入るにはいろいろの問題があるようだ。生徒数の少ない伊南中では全体の調和も保たなければならないなど大変だと聞いている。女生徒は、バレー部の希望が圧倒的に多く、まして女子の剣道希望者はこの五名の生徒が初めてのことなのだから、驚かないほうがおかしいくらいだ。この年、B校長が赴任された。先生は過去に四年間教頭として勤務されたことがあるので村のこと、学校のことなど知りつくされていたし、剣道が伊南中の伝統であることも承知のうえのことだったので五名の希望を入れて剣道部をつくられた。幸いなことに、剣道担当はベテラン有段者のS女教師なので指導の呼吸も合い、男子生徒とともに汗を流した。先生は一年で去られたが大きな功績を残された。
(良き師、良き友)
今校長室には」、全国中学生剣道大会女子部福島県代表旗」が目につく。五名が全国大会三位の成績を挙げて残していったものだ。小学校から剣道ただ一筋に歩み、それぞれ高校に進学していった。良き師、良き友に恵まれて中学時代最後の幸としての県代表旗は小さな村の大きなできごとであった。
(伊南村教育委員会教育長)