教育福島0052号(1980年(S55)07月)-016page
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随想
活気ある授業を
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安良 美佐子
只見の子らとのはじめての出会いは今から一年前のことであった。
相馬から約二百七十キロ。まるで異国の地にでも来たような心細い気持ちでいるとき、「先生、海のはなし、聞かせてけれや」と言って、人なつっこく近寄ってくる子供たちを見ると、いつしかそんな気持ちもふきとんでしまった。
三年生、二十六名、私はこの子供たちのためにできる限りのことをしなければ、という気持ちでいっぱいであった。
子供たちとの学習を進めていくにつれ、授業中、あまりにもおとなしすぎるのではないかと感じはじめた。子供の活動を十分に生かした指導は、と考えたとき、予習的課題を取り入れた授業が浮かんできた。
まず、実態把握をするため前提テストをし、既習事項が十分理解されているかどうか調べなければならない。テストの結果、予想外の子供がかけざん九九を忘れてしまっていたり、くり上がり、くり下がりの計算にまちがいが見られたりしていることに気づいた。再指導をしなければならない。また、事前テストをし、子供たちのつまづきをつかんでおき、その対策を立てておくことも必要である。
予習的課題は、本時の目標にせまるようなものでなければならないし、子供が一人になっても解決できるような方法や能力差を考えた段階的な解決の方法も示してやらなければならない。課題づくりはなかなかむづかしい。授業は、この課題づくりにかかっているからである。
取りかかりはじめのころは、発表のしかたが身についておらず、せっかくやってきたものもうまく発表できず、時間がかかった。発表のしかたの訓練もはじめた。毎日毎日、繰り返し繰り返しの練習であった。日がたつにつれ自分の考えをうまく話せる子供が増えてきた。
子供たちどうしのやりとりの場面では、友達の発表を聞いてやらなければ話し合いが進まず、課題解決ができないとわかってきたのだろうか。友達の発表に耳を傾ける子供たちが多くなってきた。
「さあ、先生の出番ですよ」といって教師指導の段階に入ろうとすると、「もう少し考えさせて」とねばり強い声も聞かれるようになった。
またあるときは、たった一人だけ違った解答をしてきた子供がでてきた。ふだんは、あまり目立たない子供であった。その時は、自信があったのであろう。多くの友達の質問に四苦八苦したにもかかわらず、自分の考えをまげなかった。あとでその子の考えが正解であったとわかったときの友達の驚きとその子のほっとした顔が忘れられない。それ以後、他の子供たちも自分の考えを素直に発表するようになったような気がする。
資料の作成、提示のしかたもいろいろと試みる。子供たちに親しみやすいものであること、教師指導のどの場面で、どのように提示すれば効果的であるかを考える。授業をするに当たり、資料を完備することは、授業を成功させるために大事なことであり、子供たちの目も、輝いてくるような感じがする。
これからというところで手離してしまった子供たちに、私はただ「ますますがんばってね」と祈らずにはいられない。
二年目、一年生三十三名の担任となった。この子らにも近い将来、あの二十六名に対したと同じような指導をすることであろう。
活気ある授業をめざして……。
(只見町立明和小学校教諭)
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自分の考えを素直に
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