教育福島0052号(1980年(S55)07月)-017page

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随想

 

ヨーロッパに学ぶ

 

寺島 泰

 

寺島 泰

 

授業の指導効果を上げる一つの方法として、グループ学習がある。学級の児童をただ幾つかのグループに編制しただけではその効果を期待することはできない。効果を期待するためには児童が学習課題を把握して、互いに話し合い、解決の見通しと、手だてをみつけて解決に至るという過程を身につけさせる必要がある。

ところで、このとき行われる話し合いは、相手を認め、自分が認められるという人間形成の上からも大切なものを含んでいると思われる。

毎日、同じ形態で指導するよりも教科や指導内容によって変化をもたせた方が効果的である。これまで私は算数科指導の中にこのグループ学習を取り入れてきたが、成績を向上させるというより、むしろ児童の人間性の育成というねらいから実施してきたのである。

昨年の十一月、文部省海外教育事情視察の一員としてロンドンのチャッツワース、ジュニアアンドインファントスクールを訪問した。そこで授業参観した折りに全く同じ学習形態で指導しているのを見て驚いたことがある。その後、視察を続けていくうちにグループ学習形態はロンドンばかりでなく、グラナダでもそうであり、聞くところによるとリスボンでもローマでもそうであるとのことである。

教師が黒板を背にして説明することの多い授業スタイルはヨーロッパの学校ではあまりみられない。私たちも自分の授業スタイルは児童にとって魅力のあるものであるのか考えてみる機会があってもよいのではないかと思う。

さて、この学校の屋上に色あせたユニオンジャックがひらめいていた。さすがイギリス、愛国心の教育も地についているものと感心した。ところが、校長の説明によると「子供が学校にいるから掲げている」とのことである。在学している児童の九〇パーセントは、外国から移住してきた人々の子弟で、やがて市民権を獲得するのだそうで、本来のイギリス人は一〇パーセントぐらいにすぎない。授業参観していてもそれとわかる。したがって屋上にひらめいていた国旗は、イギリス人の愛国心の発露というより世界の子供を教育している学校の誇りとでも解釈すべきなのかも知れない。なんとも壮大な考え、まさに国際性をもった校長の考え方ではあるまいか。

私たちも一学級、一学級の子供の教育に当たっているのではなく、日本の子供、世界の子供の教育にたずさわっているという考えを持つことが大切なのではないかと思うのである。

ポルトガルのリスボン市では小学校の就学率が八十パーセントに満たない地区もあるとか。日本の教育の充実ぶりが改めて考えさせられる。未就学児童は家計を助けようと働いているとのことである。かつて世界に君臨した栄光のおもかげをここから見ることはできない。

教材教具も日本ほど充実している学校はなかった。しかし少ない教具を感謝の気持ちを持って大切に使っている点は日本よりもすぐれていると思う。少ない教具でも十分に活用する方がより充実感があり幸せというものではなかろうか。ヨーロッパの人々は物量の豊かさよりも生活を楽しんでいるということがこんなところにもみられる。見習うところがあるような気がするのである。

(梁川町立堰本小学校教諭)

 

本校のグループ学習風景

 

本校のグループ学習風景

 

 

 


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