教育福島0052号(1980年(S55)07月)-018page

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随想

 

閉ざされた心

 

小野 キヨ

 

小野 キヨ

 

K子は登校拒否生徒である。一年生の時、三か月ほど児童相談所に入所したこともある。K子が二年生になると同時に担任した私は、前担任の先生から細かい説明を聞き、記録を通して一応心得てはいたものの、実際にどう対応すればいいかも考えつかないうちに、始業式から四日目で登校拒否がはじまった。家庭訪間をしてもかたく口を閉ざし、涙を流し、話しかけても返事がかえってこない日々が長く続いた。

この子のかたく閉ざした心を開くにはどうしたらよいか、私は随分と思い悩んだ。K子が能力的に一般の生徒に劣っていないことに着目し、通信学習を思いたった。話すのがいやなら書いてくれるだろうと思ったからである。テスト用紙を持っていっては何日か後に回収し、その都度少しずつ話す機会を持った。K子は返信用の切手をはった封筒を添えてテスト用紙を返してきた。私に手紙をくれという意味である。はじめて能動的に自分の意志を示したのである。

三学期も終わりのころ、タブーであった「学校」について思いきって話し合ってみた。進級のこと、卒業のこと、社会に出てからのこと…。K子は、登校を約束するまでになった。しかしそれからが大変である。二日間は朝家まで迎えに行った。三日めは一人で家を出て、K子の家と学校との中間地点で会う約束をした。そして四日め、彼女は一人で登校した。

三年生になった現在、他の生徒に比して欠席は多いものの、登校するようになって一か月余りが過ぎた。なんらかのトラブルなどにより心を傷つけるようなことがあってはという私の気づかいを知ってか、学級全体が温かい心で彼女を受け入れ迎えてくれている。

五月のある道徳の時間である。八木重吉の詩「巨いなる鐘」について話し合った。

ちかごろ なんとなく/こう ばかにだだっぴろい/「偽」の海を/泳いでいるような気がしてならぬ/よくもまあ こうして/あきずに泳いでいるな と/われながら ときにあきれる/これだけが わたしの道だもの/「求めよ 与えられる」/しかし さびしい道だ/息づまるように さびしい/でも 行かねばならぬ/行かねばならぬ

感想を述べさせるため、思いきってK子を指名してみたが、意外にも素直に立ち上がり感想を述べはじめた。

「この詩は、人間の生きかたについていっているのだと思う。私たちが毎日生活しているなかで、自分の考えているような生活のできない場合も多い。しかし、それが私たちの道なのだから、さびしいけれど進んで行かなければならない。生きて行かなければならないということをいっているのだと思う」

このK子の発表に、シーンと静まりかえっていた生徒たちの間から一種の驚きに似た声と同時に拍手が起った。このK子を指名するのに、ためらいと不安のあった私も一瞬驚き、次に胸になにかがこみ上げてくるものを感じた。

いくつか思いあたる節はあっても、彼女をこうしてしまった要因はなになのか、本当のことを知ることはむずかしい。「巨いなる鐘」を読んで発表している時のK子の本当の心を知りたいと思う。私はこれからこの子に即した対処のしかたを考えてゆかなければならない。

朝、教室でいつものようにK子の席をみる。祈るような気持ちで待っている。K子が心の窓を開いてくれるまで私は辛抱づよく待つつもりである。

(船引町立船引中学校教諭)

 

心の窓を開いて

 

心の窓を開いて

 

 

 


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