教育福島0054号(1980年(S55)09月)-008page
値的存在、独自的な人格として尊重することは、学校教育の基本的方向であり、同時に、進路指導の基本的理念でもある。
個々の生徒は、その資質や興味、価値観、進路希望などをそれぞれ異にしており、それらの背景としての諸条件もそれぞれ異なっている。例えば、働く習慣や態度、他人の行動の模倣や獲得の仕方、主要人物との同一視(あの人と同じ、あの人のようになりたいという心の働き)、物事の達成意欲やその方向性、意志決定や行動に当たっての自主性、教科学習についての好き・きらいや、得意・不得意、余暇活動とそれへの参加の仕方、教師や友人への態度と人間関係などは、中学生になって突然出現する資質ではなく、幼少時から小学校時代にかけての社会化の過程において、社会的・教育的環境と生徒個人との相互作用によって徐々に形成されて、個人的差異となるものである。
したがって進路意識やその発達は決して一様ではなく、個人的差異が重要な意味合いを持ってくるので、教師は進路学習を通じて、生徒の望ましい社会性の促進に努めるとともに、各々の生徒の個人差に十分意を用い、それぞれの可能性の最大限の伸長・発達を援助することが大切である。
(四) 進路指導は、生徒の入学当初から毎学年、組織的、計画的、系統的に行われる教育活動である。
既に述べたように、進路指導は、個々の生徒の将来に向かっての生き方への援助であり、職業的発達を促す教育活動である。このような教育活動は、ひとり進路指導主事や学級担任のみが指導に当たればよいというものではなく、また、学級指導の限られた時間のみで指導すれば足りるというものでもない。すべての教師が教科の指導、道徳、特別活動の指導、更には教育課程外の指導など、学校のあらゆる教育の機会や場を通じて、毎学年組織的、計画的、系統的に指導することによって初めてその効果が期待できるものである。
この場合、「組織的に」ということは、校内の進路指導組織を確立して、校長、教頭、進路指導主事、学級担任その他の関係教師の役割と職務分担を明らかにし、全校的な協力体制に基づいて進路指導を推進する必要性を指している。
また、「計画的に」とは、学校全体及び各学年のねらいを受けて、進路指導の全体計画、必要な個々の計画を立案し、生徒の実態に即した指導を計画的に展開することを意味する。更に、「系統的に」とは、生徒の発達段階、性差進路希望などに応じて、三か年を見通した指導が毎学年実施されなければならないことを意味している。
(五) 進路指導は、家庭・地域社会・関係諸機関等との連携、協力が特に必要とされる教育活動である
進路指導という教育活動は、学校の内部だけで行われる活動ではなく、生徒の家庭や地域社会、学校を含む関係機関との間に、直接的、間接的にかかわりを持つ活動である。
進路についての基本的な意識や考え方は、中学校入学以前の家庭と学校生活を通じて育成され、中学校入学後の生活と学習のなかで、更に強化されたり修正されたりして発達するものである。
また、進路指導において、生徒個人の希望や興味・関心などを尊重することはもとより大切であるが、生徒の将来に期待する父母の考え方や意見に耳を傾ける必要がある。入学当初から、毎学年進路に関する父母の会、家庭訪問などを積極的に計画、実施し、平素から学校の行う進路指導について学校家庭間の理解や連携を深めておくことが肝要である。
更に、地域社会や関係諸機関、例えば、地域の事業所や公共団体、職業安定所や労働基準監督署、小学校や高等学校、各種教育訓練機関、その他の諸施設・諸機関との連携も大切である。
二 進路指導と教育課程
(一) 総則と進路指導
学習指導要領の総則の九(二)に「学校の教育活動全体を通じて、個々の生徒の能力・適性等の的確な把握に努め、その伸長を図るように指導するとともに、計画的、組織的に進路指導を行うようにすること」と述べている。
このことは、進路指導が教育課程の全領域と関連を持っていることを示すものである。
教育課程において、進路指導が集約的に行われる場は特別活動の学級指導であるが、各教科、道徳や特別活動の学級指導以外の場においても、進路指導との関連を配慮し、一層の充実を図っていくことが望まれる。
また、進路相談などの個別指導の面でも進路指導に関連の深い教育課程の全領域における観察・指導の実践に当たっては、全校的な立場からの教師の理解と協力が必要である。
(二) 各教科、道徳と進路指導
進路指導にとって必要な生徒の学習は、特別活動の学級指導の時間だけと考えるのは適当でない。進路に関する知識・情報や将来の生き方などに関する学習は、社会科や保健体育科、道徳などにおいても行われている。
例えば、社会科の公民的分野の「職業と生産活動」や保健体育科の「健康と生活」などの内容は、進路指導に有効な知識・情報といってよい。
また、道徳には「勤労の尊さを知る