教育福島0054号(1980年(S55)09月)-026page
随想
心のかけ橋
尾下峰夫
山の秋、木々の葉が色づき始めるころ、子供たちの会話の中の一コマ、「今年の秋の遠足、どこへ行くんだべな」「うん、山歩きすっといいな」そんな声がちょっとわざとらしく職員室へ届いてくる。私たちはそれを聞き、思わず顔を見合わせてニヤッとする。廊下へ出て行き、「K君、毎日、山で遊んでるべした。それでも山歩きは飽きないの」といじわるな質問をする。すると「だって先生、山歩きはおもしろいべした。おもしろいことは飽きないよ。それに山は同じ場所でも毎日、変わったことが見つかるよ」とまるで学者みたいなことを言う。そこで、秋の遠足は自然に親しもうと銘うち、いも煮会を兼ねた山歩きと決定する。
遠足のお知らせの欄に野菜少々と書き加えて通信を出す。当日、子供たちが持って来た野菜を集めてみると売りに出せるほどある。「うわっ、みんなたくさん持って来たな」「うん、母ちゃんがよこしたんだ。余ったら先生、食べっせだってさ」うれしい心遣いである。その日の遠足は大成功。帰りの道々、会う人たちに余った汁をおすそわけ。私の前任校である山の分校での話である。
教師二名、児童十三名の小さな山の分校。私たちの最大の目標は楽しい学校ということであった。とにかく学校にいると楽しい、学校っておもしろい所だなと子供たちに思わせることである。そのためには時間の許す限り全員が参加できる楽しいつどいを持つことである。業間、合同授業、行事と積極的に全員参加の場を設けた。そしていつの間にか、全校合奏の練習など四年生のT子を中心に自主的に行うようになってきた。私たちは演奏を聴きながら「これは楽しみだぞ」とほおをゆるめる。さて、そのT子の話。ある朝、教室へ行くと、T子が赤い顔をしている。体温を測ると八度三分もある。
「お前、すごい熱だぞ。帰って寝っか」と聞くと「学校のほうがおもしろいから勉強していく」と言う。健康が心配ながらもうれしくなり「じゃ、やれるだけやってみっか」となった。
このように子供たちが楽しく学校生活を送れるのは、決して学校のみの力ではなく、父兄、地域の協力のたまものであることを忘れてはならない。その協力で行われるようになったものに部落運動会がある。「じいや、がんばれ」「母ちゃん、負けるな」と声援が飛ぶ中でみんな汗を流して走り、そして綱を引く。ばあやは孫の踊る姿を見て目を細める。子は父ちゃんが一等になったと飛び上がって喜ぶ。その姿に家庭のなごやかな雰囲気が感じられ、ふれあいの輪が更に大きく広がったような気になる。
さて、このような分校勤務で教えられたものは心のふれあいである。このふれあいこそが学校生活そして社会生活の原点となるのではないだろうか。そうすると分校教育こそが教育の原点であるような気がする。しかし原点ではあるがすべてではない。大規模校にはそれなりの良さがあるし、ふれあいを十分に持てるはずである。
教師と子供は、人と人との関係であり、それは結局、心の通じ合いであるからだ。また規模が大きくなればなるほど多くの困難をともなうにちがいないだろう。実際、今年度、六名の担任から二十三名の担任となり、とまどいのうちに一学期はなんとか終わったというのが正直なところである。
今、二学期を迎え、楽しい学級を、一対一の「つきあい」「心のふれあい」をと決意をあらたにしている昨今である。心のかけ橋をめざして…。
(滝根町立滝根小学校教諭)
心をひとつにして