教育福島0054号(1980年(S55)09月)-032page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

わたしの研究実践

難聴児の指導

いわき市立平第二小学校教諭

宗像清次

 

一 はじめに

 

K子はこの四月、県北管内の小学校からいわき管内の小学校へ転校して来た難聴児である。

難聴学級で指導を受ける児童は、教育相談を実施し、市適正就学委員会で「入級が適当である」と判断されたものである。

K子の場合、転校してくることは担任の先生から電話があった。しかし、どこの小学校に転校してくるのか、児童の実態はどうなのかはほとんどわからなかった。

四月十日「ことばとひびきの教室」の始業式のとき母親が、

「この子を指導してほしい。できれば弟も(弟は聾児)」といって入って来た。

こんなわけでなんの資料も準備もできていないまま指導をはじめることにした。以下は母親から聴取したことを整理し、指導の概略などをまとめたものである。

 

二 K子のプロフィール

 

(一)K・F(女)小学校三年

(二)入級年月日 昭和五十五年四月十日

(三)主訴

難聴のため発音がおかしい。相手のいうことがよく聞きとれない。ことばの発達も遅れており、話したり、書いたりするのがよくできない。

(四)入級時の状況

・ハ行音が力行音に置換、サ行昔、ザ行音に歪みが見られた。

・音読をさせると脱落、歪み、置換などが多かった。

・語いが貧弱で質問の意味がわからないため応答できないでいることがあった。

・補聴器は耳かけ式を装用(ワイデックス社F4)

・平均聴力損失値

右耳 六○dB 左耳七二dB

(感音性難聴)

(五)生育歴

(1)家旅 父 母 妹(小二年)弟(平聾学校幼稚部)

(2)胎生・周産期

・つわりがひどく約十日間入院

・出産年齢 二十三歳

・陣痛から出産まで約三十三時間

・正常分娩(三、一〇〇グラム)

(3)乳・幼児期

身体的には順調に育った。ことばが遅いので心配し相談したら自閉症といわれた。

(六)諾検査・相談の記録

四九年四月 福島児童相談所で自閉症といわれた。

五十年四月 狭山台クリニック、埼玉医大では発達の遅れ。

五十年十一月 郡山市本間病院で知能検査、言語面の遅れ。、

五十三年六月 福島市補聴器センターで聴力検査(補聴器装用開始)

五十三年九月 福島県立医大で聴力検査。約七十デシベルといわれた。

五十五年四月 帝京大医学部附属病院で聴力検査(耳かけ式補聴器を装用)

五十五年四月 読書力診断検査(小二年三学期(語いは1の段落)

(七)教育歴

五十年四月 県南管内保育所(一年)

五十一年四月 県南管内幼稚園(一年)

五十三年四月 県北管内小学校入学

(ことばの教室に入級)

五十五年四月 いわき管内小学校へ転校(平二小ことばとひびきの教室に入級する)

 

三 本児をとりまく問題点

 

母親の話によると耳が遠いのではないかと疑ったのは十か月のころだったとのことである。しかし、医者に見てもらったわけでもなくそのうちなんとかなるだろうぐらいに考えていた。

三歳のとき、福島児童相談所で自閉症だといわれてからは、はれものにさわるようになり消極的な扱いになってしまった。このころ、難聴児として扱っていたなら現在のようにはならなかったかも知れない。

弟が聾児であり、二年生の妹がいるために母親一人では手がまわらない状態である。肇学校への付添いだけでも大変である。その上、平二小へ週二回通級することは時間的にも経済的にも容易なことではない。会社の都合で、小名浜に居住しているわけであるが、子供の教育の面から考えると大きなマ

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。