教育福島0054号(1980年(S55)09月)-045page

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とになる。

3) 出身中学別からの考察

現役では福島市の中央部出身と周辺部出身者との割り合いは五対四とほぼ半々であるが、浪人の場合は二対十と圧倒的に周辺部出身者が多くなっている。

その理由として考えられることは、中央部出身は概して高校受験の段階でその能力が存分に伸ばされた状態で高校に入学して来るから、三年間に大多数の者がその伸びを停止してしまう。逆に周辺部出身者は、その能力が未開発のままで入学して来るところから、その後急速に伸びて来る例が多いのではなかろうか。前述したKの場合などは、高校時代もその能力が未開発のままであったのが、卒業後に大きく伸びた例といえよう。

 

四 本校のおかれている背景と進学指導上の問題点

 

本校は、昭和四十九年に県北の基幹校という名目の下に、飯坂高から現在の校名に変わり、地域社会からは福高福女に次ぐ進学校という期待を担って再出発したわけであるが、なかなかその実績があがらず現在に至ったというのが実情である。その原因はどこにあったのか。

第一に考えられることは、校内に進学ムードの盛り上がりがもう一つ足りなかったということになろうか。例えば校内模試や平日課外の実施に当たっても、校内の空気がなかなか盛り上がらず幾多の困難が伴った。こういう事情を超えて今回のような成果を得るためには、学年主体の進学指導に踏み切らざるをえなかった。私が関係した学年の場合、既に一年の二学期から「自主課外」という名目で英数二教科について、毎週二回の特別指導が実施された。これは、あくまで学年担任の当該教科担当者の熱意に基づくものであった。また、校内模試も学年主催という形で実施することによって、生徒の間に少しでも進学ムードを高めるのに心がけた。その結果が、国公立大合格五十三年度十名、五十四年度十二名という数字に結びついたのだと思う。

幸い、この学年の敷いた路線は、その後の学年の進学指導面に受け継がれて、ようやく学校全体の進学ムードも高まりつつある。今後の成果に期待したい。

(この原稿は、去る五月二十三日福島県高校進路指導連絡協議会で発表したものの要約である)

 

過去5年間上級学校進学状況

 

 

 

 


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